依頼内容

日本に今ある中で、いちばん古いトイレが京都にあると聞きましたが、本当ですか?また、どんなトイレなのでしょうか。

トイレは私たちの生活に欠かせない存在。最も古いトイレの話は『古事記』に書かれており、水の流れる溝の上に設けられた場所で用を足していたというもの。そこから、川の上に架けた建物の意味で「川屋」と呼ばれ、厠の語源にもなっています。さらに、現在国内に残っているトイレの中で最も古いトイレはどこかと調査を進めたところ、それは紅葉の名所で知られる京都の東福寺にあるとわかりました。探偵たちは、さっそく現場へ向かいます。

紅葉の季節には、たくさんの観光客が訪れる東福寺
紅葉の季節には、たくさんの観光客が訪れる東福寺

東福寺は鎌倉時代に摂政関白を務めた藤原道家が開基した、12万坪もの寺領を誇る巨大寺院です。トイレを探すのにもひと苦労するほど広い敷地内を歩き回っていたところ、お寺の方を発見。さっそく「このお寺に日本でいちばん古いトイレがあると聞いたのですが、本当ですか?」と聞いてみました。「確かに現存する中で最も古く、国の重要文化財にも指定されている『百雪隠(ひゃくせっちん)』という東司があります」と教えてくれたのは東福寺広報主事の明石さんです。禅のお寺ではトイレのことを「東司(とうす/とんす)」と呼びます。東司は東側をつかさどる建物を意味し、建物の東側にトイレを設置したことから、東司=トイレを指すようになったようです。また、「雪隠」もトイレを意味する言葉ですが、これは唐の雪竇(せっちょう)という禅師が、霊隠寺の厠をつかさどっていたことが語源です。

お茶目で恥ずかしがり屋の広報担当・明石さん
お茶目で恥ずかしがり屋の広報担当・明石さん

東司の外観は、30メートル×10メートル×高さ10メートルほどの巨大な木造建築です。トイレと言えば、ひっそりと佇んでいて狭い場所というイメージがありますが、かなり大きくて堂々と建っていてびっくり!創建当時のものは火災で焼失していますが、現存するものは約600年前に再建され、大正初期までは実際に使われていたもの。その後、お寺のトイレは水洗のものに入れ替えられましたが、この東司は当時の雰囲気が伝わるようにと保存されています。普段は中には入れませんが、明石さんに案内してもらい、今回特別に室内に入れてもらいました。

普段は公開されていないので、窓から中をのぞいてね
普段は公開されていないので、窓から中をのぞいてね

足を踏み入れてみると、広い土間の通路を挟んでその両側に、直径約30センチの穴が並んでいます。「深さは20~30センチぐらいで、昔は2種類の瓶が埋め込まれて、大便用と小便用を使い分けていました」と明石さん。

穴が規則正しく並んでいます
穴が規則正しく並んでいます

穴の間に間仕切りがないことにも、衝撃を受けます。もしやこんなオープンな状態で用を足していたのでしょうか?「いいえ、今は残っていませんが間仕切りはあり、個室でした」。ただ、トイレットペーパーはなく、木や竹のヘラでお尻を拭いていたのだとか。木や竹のヘラとは、なんだか痛そうですね。

中は奥行きがあってかなりの広さ
中は奥行きがあってかなりの広さ

建物内に東司での所作についての説明があったので、読んでみました。
①着衣を竿に干す
②紙に記号を書いて入る
③怒声や笑声はダメ。また扉の外から催促などはしてはならない
④桶に水を入れて右手で持つ
⑤左手で門扉を開ける などなど
入ってから用を足して退出するまで、一挙手一投足が細かく決まっています。さらに、手洗いの際にも手拭きには所定の木片を使うなど、細かい決まりごとがありました。

東司使用の作法は文字でびっしり!
東司使用の作法は文字でびっしり!

このように、東司では所作が決まっているだけでなく、ホッとひと息つくことも禁止されていました。「禅では己事究明(こじきゅうめい)という言葉があります。己=自己・自分、究明=知ること。自分に真正面から向き合うための追求がなければいけません」。禅の教えでは、座禅をするときだけでなく、日常のすべてが修行と考えていて、座っていれば座禅で、歩けば歩禅になるのだとか。「つまり、僧侶にとって東司を使うことも禅の修行のひとつなのです!」と教えてくれました。また、「いつでも行けるわけではなく、トイレに行ける時間も決まっていたんですよ」と明石さん。急を要する際はどうしていたの?と思いましたが、さすがに聞けませんでした。

手を洗うのにも細かい規則があります
手を洗うのにも細かい規則があります

ところで、今の修行僧もこういった習わしを守っているのでしょうか。「昔ほど厳しくはないですが、私を含めた東福寺の僧侶の基本的な所作は、決まっています」とのことでした。

修行場としての東司の様子
修行場としての東司の様子

かつては東司の隣に「禅堂」という座禅を組んで修行をする建物があり、当時は渡り廊下で建物がつながっていました。「禅の思想は、徹底的にムダを省いて大切に使えるものは使うという考えで成り立っています。修行の合間の限られた時間に修行僧がすぐに行けて、時間のムダを省いてできるだけ一斉に用を足せるようにと、大きな東司が禅堂のすぐ隣に建てられたのです」。たくさんの人が一度に用を足せるという意味から、「百雪隠」のほか、「百人便所」「百間便所」とも呼ばれるようになりました。だからこんなに大きな建物になったんですね!また、使えるものは大切に使うという禅の精神は、排泄物にも及びます。修行の一環として、寺の敷地内に畑をつくり、排泄物は畑の肥料として使われました。

これが禅堂。ここで修行します
これが禅堂。ここで修行します

さらに明石さんの案内に従って進むと、国指定名勝でもある「八相の庭」にたどり着きました。明石さんいわく、「この庭は北斗七星を表現していますが、この7つの円柱は東司の解体修理をした際に出てきた余材からできているんです。作庭家・重森三玲氏に寺の廃材を使ってくださいと依頼したら、北斗七星に生まれ変わったのですよ」とのこと。トイレが北斗七星に!壮大なロマンを感じます。

トイレの円柱で表現した北斗七星
トイレの円柱で表現した北斗七星
トイレの円柱で表現した北斗七星

今回見つけた日本でいちばん古いトイレは、禅の心を会得する場でもありました。明石さんのお話を聞いて、探偵たちもこれからトイレに入るときは、己事究明の教えに従って自分に向き合ってみようと決意しました。

今のお手洗いはこちらです
今のお手洗いはこちらです
調査完了