![依頼内容](./img/icon_outline.png)
お正月にみんなでやるかるたの老舗が京都にあるらしいのですが、そもそもかるたってどうやってできたのでしょうか。気になるので調べてください。
子どものころ、お正月に家族や親戚が集まると、さまざまなかるた遊びをして盛り上がった方も多いでしょう。近ごろは、もっぱらTVやスマホアプリのゲームばかりで、かるたのようなアナログゲームは縁遠くなっているのでは?しかし、ここ最近では競技かるたの世界を描いた漫画が火つけ役となり、かるた人気が盛り返しています。
![覚えるのに苦労した人もいる!?百人一首かるた](/portalc/contents-2/pc/tantei/__icsFiles/afieldfile/2018/12/17/190107_img01.jpg)
さて、かるたはいつごろ誕生したのでしょうか?気になった探偵たちは、京都伏見に百人一首をはじめとする各種かるたの製造・販売を営む「大石天狗堂」で、詳しく話を聞いてみることにしました。
![創業200年以上の老舗「大石天狗堂」](/portalc/contents-2/pc/tantei/__icsFiles/afieldfile/2018/12/17/190107_img02.jpg)
木の縦格子で覆われた落ち着いた建物の「大石天狗堂」は、創業200年以上の老舗。入口には天狗の看板があります。店内にさまざまなかるたが並んでいて、中には江戸時代の画家・尾形光琳が描いた雅な小倉百人一首を、シルクスクリーン印刷で復刻したものも!これぞまさに芸術品。店内のいたるところに、さまざまなかるたが所せましと並んでいます。
![店内には所せましとかるたがズラリ!](/portalc/contents-2/pc/tantei/__icsFiles/afieldfile/2018/12/17/190107_img03.jpg)
探偵たちは、代表取締役の前田さんにまずは百人一首の歴史を聞いてみることにしました。日本のかるたの代表とも言える百人一首は、平安時代の貴族の遊び「貝合わせ」にさかのぼるそうです。「はじめは数組のハマグリの柄を合わせる単純なものでしたが、徐々にその数が増加して、180組も使われるようになったんです」と前田さん。つまり合計360個!?その中から柄の違いを見極めて、対になるものを探すのは至難の業。そのため、次第に印を入れるようになり、そこから貝の内側に美しい模様を施した「絵貝」が登場。さらに、古今集などから和歌の上の句と下の句を別々に書く「歌貝」へと発展していきました。
![貝殻の色合いや模様から対になるものを見つける「貝合わせ」](/portalc/contents-2/pc/tantei/__icsFiles/afieldfile/2018/12/17/190107_img04.jpg)
そして室町時代末期の1543年に、ポルトガルの船が種子島に漂着。このとき、鉄砲などとともに、船員たちが船内で遊んでいた紙でつくられたカード=CARTA(かるた)も、日本に持ち込まれました。つまり、かるたってポルトガル語だったんですか?と驚く探偵たち。「そうです。『CARTA』はポルトガル語で、四角い紙でつくられたものを意味する言葉で、トランプや手紙、地図なども含まれます。紙でできたゲームが日本独自の貝合わせと融合して、『百人一首』へと変化していったのです」と前田さんは教えてくれました。
![CARTAによって貝から紙になり、貝合わせから百人一首へ](/portalc/contents-2/pc/tantei/__icsFiles/afieldfile/2018/12/17/190107_img05.jpg)
かるたと言えば、犬も歩けば……で有名な「いろはかるた」もあります。探偵の調査によると、こちらは歴史が新しく、幕末のころに京都で生まれたようです。ことわざや歌あそびを反映したいろはかるたは、後に江戸に伝わると庶民の間で急速に広まっていきました。
![かるたのことならなんでも知っている前田さん](/portalc/contents-2/pc/tantei/__icsFiles/afieldfile/2018/12/17/190107_img06.jpg)
また、大人の遊びである花かるたこと「花札」は、ポルトガルの船員たちが持っていた現在のトランプの原形であるCARTAがルーツになっています。前田さんは「ポルトガルから伝来したCARTAを、日本でつくりかえたものに『うんすんかるた』があるのですが、これが安土桃山時代から江戸時代にかけて大ヒットしたのです」とのこと。札の1枚ずつに強弱がつけられ、最も強い札を持っている人が点を取るという遊び方だとか。大石天狗堂さんには、江戸時代のうんすんかるた復刻版がありますが、それをよ~く見ると絵札には、七福神のほかに西洋風の騎士や剣や貨幣のような絵も。日本風の絵柄と西洋のタロットカードが融合したような、国際色豊かなかるたです!
![日本と西洋の文化が融合しているデザインの「うんすんかるた」](/portalc/contents-2/pc/tantei/__icsFiles/afieldfile/2018/12/17/190107_img07.jpg)
このうんすんかるたが次第に賭け事に使われるようになり、江戸時代に入ると幕府から禁止令が出されました。「禁止されるとやりたくなるのは、人の性でしょうかね。幕府の禁止令を逃れるために絵柄を変えてごまかすと、その絵柄のかるたが禁止になり、また絵柄を変えて……といういたちごっこが続き、どんどん絵柄が変わっていきました」。やがて、うんすんかるたの枚数が48枚と12の倍数だったことから、12ヶ月折々の花を描いたかるたができました。「『数字を書いてないから、賭博用じゃありませんよ』という言い訳をして、取り締まりの目を逃れようとしたみたいです」と前田さんは言います。この数字のないかるたが、花札となったわけです。
![幕府の禁止令から何とか逃れようと生まれた「花札」](/portalc/contents-2/pc/tantei/__icsFiles/afieldfile/2018/12/17/190107_img08.jpg)
大石天狗堂の創業は、江戸時代の末期のころ。「禁止令があったため、表向きは実は『米問屋』としてお米を売っていて、裏で花札の売買を行っていたんですよ」。裏稼業で花札を売っていたとは、なんだかドキドキしますね。
当時は「あれあるか?」とお客さんが訪れて、鼻の頭をこするのが「花札ちょうだい」の合図だったそうな。花=鼻をかけているんですね!真偽は不明ですが、と断りを入れて前田さんは「店名に『天狗』が入っているかるた店は多々あり、花札の合図として鼻をこする=天狗のように鼻が高くなる。そんな連想が店名につながっているそうです」と教えてくれました。裏稼業がばれたら大変!と思うと、シャレをきかせている場合じゃないのに、なんだかおもしろいですね。
![天狗とかるたには関係があったんだね](/portalc/contents-2/pc/tantei/__icsFiles/afieldfile/2018/12/17/190107_img09.jpg)
現在、大石天狗堂のかるたは名人戦・クイーン戦などをはじめ、全日本かるた協会が主催する競技かるたの大会で使う公式の札として採用されています。競技用のかるたって、一般用と違いがあるのか聞いて見せていただくと、一般用に比べて微妙に反っているのがわかります。
![フラットな断裁仕上げと、反った裏貼り仕上げ](/portalc/contents-2/pc/tantei/__icsFiles/afieldfile/2018/12/17/190107_img10.jpg)
前田さんからちょっとした豆知識として、かるたが反る理由を教えてもらいました。今は厚紙をカットしてつくられているかるたがほとんどですが、その昔厚紙をつくる技術がなかった時代は、薄い紙を重ねて厚く仕上げていました。ところが、使うにつれて端がボロボロになってしまいます。「そこで、裏面に大きな和紙の裏紙を貼って、四辺を包むことで丈夫に仕上げました。和紙は水分を含むと伸び、乾くと縮むので、裏紙で縁まで包んで密着させていると、紙が裏側に引っ張られて反るんですよ」と語る前田さん。ほどよい反り具合のおかげで床からかるたが少し浮いた状態になり、指にかかりやすく取りやすくなるため競技用かるたに使われるのだとか。
![店舗の裏側が工房に。職人が1枚ずつ丁寧に仕上げていきます](/portalc/contents-2/pc/tantei/__icsFiles/afieldfile/2018/12/17/190107_img11.jpg)
前田さんはかるたについてこう語ります。「かるたの魅力は一人ではできず、相手がいないと遊べないところにあります。かるたを通して、たくさんの人とコミュニケーションをとってほしいですね」。その昔、ポルトガルから伝来したCARTAと、日本古来の遊びが融合したかるた。老若男女が楽しめるかるたの魅力を、再発見した探偵たちでした。
![みんな、お正月はかるたで盛り上がったかな?](/portalc/contents-2/pc/tantei/__icsFiles/afieldfile/2018/12/17/190107_img12.jpg)
![調査完了](./img/finish_img.png)