大阪には「大阪城」だけでなく、「小阪城」というお城もあると聞きました。そんな冗談みたいな名前のお城が、本当にあるのでしょうか?
探偵が調べてみたところ、大阪の小阪城とは、東大阪市小阪に実在するようです。地元ではかなり有名で、台湾のガイドブックには大阪城の隣に掲載されているという話も。「どんなお城かこの目で確かめたい!」と興奮気味の探偵たちは、小阪城がある近鉄奈良線河内小阪駅へと向かいました。
駅から続く商店街を少し進み、路地に目をやると……、
もしかして、天守閣の下は理容室!というか、理容室の上に天守閣がそびえ立っている!
気になってしかたなかったので、さっそく天守閣を持つ理容室「イソノ理容」に声をかけてみました。営業時間内にも関わらず、イソノ理容の店主にして小阪城の城主でもある磯野さん自ら、城内を案内してくれることになりました。ちなみに、小阪城の入口は理容室の裏手にあります。
裏手にある自宅玄関からお邪魔すると、すぐ目の前に書院造のお部屋がありました。圧倒されていると、「これ全部僕の手づくり」と磯野さん。
全部手づくり!?ってことはDIY城(DIY=Do It Yourself)!?城って手づくりできるものなの?と謎に思いながら、豪華絢爛な城内を案内してもらいました。
ここは、つくった当時ご高齢だった磯野さんのお母様のためにしつらえたそうです。立派な松が描かれた黄金の襖、鶴が美しい御殿襖や、梅をあしらった帳台構え、奥には中庭まであります。
こちらの御殿襖の絵は、下書きでアヒルを描き首や脚の長さを何度も調整しながら鶴にしていくという大胆な画法を使って描きました。装飾金具は、昔の病院で使われていた薬箱を譲り受け、釘とドライバーで地道に叩いて形成。赤い飾り紐は、イメージに合うものが見つからず、自分で紐を買ってきて生まれて初めて染色したものだそう。結び方は、二条城に行ったり古本屋を巡ったりして研究したといいます。
ニコニコしながら「それでは次はこちらへ!」と松の襖を勢いよく開けた磯野さん。探偵たちの目の前に現れたのは、千畳敷の大広間!
……かと思いきや、精巧なだまし絵でした。絵だと分かったうえで見ても、非常に奥行きが感じられます。これは京都の西本願寺をモデルに、磯野さんの十八番である「遠近法で広く見せる」技法を使って描いたもの。城内で一番の大作です。なんと時代劇映画のタイトルロールに使われたこともあるそうな。続いて2階に案内していただきました。
こちらのお部屋は広いので机と椅子を置き、応接間のように使われています。
どの襖絵も素晴らしいでき栄えですが、特に圧巻だったのが、こちら!
【富士の間】
ここは、磯野さんご自身の寝室です。「人生を表しているように見えるから、富士山が好きなんや」と語る磯野さん。「みんな出世しようと頂を目指して登り始めるけど、財力を得て頂に近づくほど、風当たりがキツくなってくる。やっと頂にたどり着けたときには、周りに誰もおらんことに気づくんや。しかもその後は下るだけ。そんな人生よりも、山に登らんと、たくさんの友達と楽しく樹海を歩く方がいいわ」と語ります。深いお言葉に心打たれます。
【展望部屋】
続いて3階です。元は天井裏だったところを、手づくりの階段をよじ登って上がってみると、そこは!
【黄金の茶室】
なんと「黄金の茶室」が出現。ベニヤ板に金色の折り紙を300枚貼って制作した金箔風のしつらえは、本物にしか見えません。茶釜も水差しも黄金色に輝いています。
ゴージャスな茶室を見せていただいた後の「この上が天守閣やで」と話す磯野さんの言葉に、なんだかウキウキしてくる探偵たち。しかしたどり着いたのは……。
【小阪城天守閣】
天守閣の正体は、なんと物置だったのです!
ブリキとトタン板でつくられた天守閣ですが、実は初めは今よりも低い3層構造でした。でもそれでは外から屋根しか見えなかったため、5層にすることに。上はもうでき上がってしまっているので、下に2層分追加しました。無事5層になったのですが、まだ低かったので、さらに上げて石垣も追加。この作業は、小阪城築城にあたり、一番の重労働だったといいます。
小阪城見学に圧倒された探偵たち。さらに詳しいお話をうかがおうと、一度理容室へと戻ります。
【理容の間】
この店舗兼自宅は、築90年の建物。約50年前に代替わりをするとき、有名な設計士さんに依頼してモダンな店舗に改装しました。デザインはいいものの、使い勝手が悪かったため、完成3年後から少しずつ自分で改装し始めたといいます。
ここにも、梅やモミジを描いた黄金の戸棚や、風景画が飾られています。黄金の戸棚は、歯ブラシや櫛の柄などのプラスチックをはんだごてで溶かしながら描いて立体感を出したとか。驚くことに、店舗の改装も小阪城全体も、すべて廃材やリサイクル品、100円均一やホームセンターで購入したものでつくられました。総工費はたった5万円ほど!
ところで、絵だけでなく大工仕事まで器用にこなす磯野さん、小さなころからお父さんの代わりに大工仕事をしたり、写実的な絵が好きでよく描いたりしていたそう。ただ、勝手な描き方をするから美術の成績はまるでダメだったのだとか。小阪城にある数々の絵も、大まかな構成図は描くものの下絵はなし。描きながら感覚でどんどん修正していく手法が磯野さん流です。磯野さんの「疑問やできないことは考えて何とかする」習慣と、「チャレンジ精神」は、「人間に不可能はない。お金は出さんでも、知恵を出せばなんとかなるんや」というポリシーになり、さまざまなアイデアを形にする力となりました。小阪城は、そんな磯野さん自身を見事に体現しているのです。
「お金は使わず、知恵を出す」という、大阪人の気質がそのまま形になったこの小阪城こそ「本当の大阪城」だ、といってしまうと大げさでしょうか。
「どんな店で飲むより、この城で飲むのが一番いい」と笑う磯野さんの生活は、本物のお殿様のように豊かで幸せなものだと感じました。
- 小阪城(イソノ理容)