奈良県の広陵町は靴下の生産が盛んだと聞きましたが、なぜでしょうか?
今回の依頼は「靴下」について。まずは奈良県繊維工業協同組合連合会さんに問い合わせてみると、確かに奈良県が全国の5割を占め生産量ナンバーワンで、特に広陵町では靴下生産が盛んとのこと。そこで、探偵社一行は広陵町が靴下の一大生産地になった経緯を調べるために現地に向かいました。
調査当日、同町の竹取公園ではちょうど「靴下まつり」が開催されていました。広陵町でつくられた靴下の販売をはじめ、奈良県の特産品が大集合のお祭りです。靴下生産に関わっている方もたくさんいらっしゃるので、グッドタイミングですね。
まずは広陵町靴下組合組合長の野瀬さんに、靴下づくりの歴史についてお話をうかがいます。ちなみに、野瀬さんの今日の靴下は、今年流行りのボーダー柄。もちろん広陵町で作ったものです。
野瀬さんのお話によると、その昔、奈良県の広陵町は「大和国広瀬郡」といって、古くから靴下の原料にもなった「大和木綿」の産地でした。大和地方で綿作が盛んになった理由は、慢性的な水不足のため米の生産量が少なく、それを補うために綿を作っていたからだと言われています。いまでも広陵町にたくさんのため池があるのは、当時の水不足対策の名残です。
江戸時代になり貨幣経済が発達すると、各地で特産物の生産が盛んになります。ちょうどその頃、庶民の普段着の素材が麻から木綿中心に変わりつつあったため、大和地方でも綿花栽培や製糸業が盛り上がり、「大和木綿」は全国に知れわたる特産品に成長しました。地域の奥さんや娘さんたちは、農作業が終わると家の中でギッコンバッタンと木綿布を織り、工賃を得るようになります。
綿花栽培の技術書「綿圃要務」(大蔵永常)より。
そして幕末になり開国すると、大量のインド綿が日本に輸入されはじめます。この頃から日本の綿作は一気に衰退し、現広陵町での綿の作付面積も従来のわずか0.9%にまで減少しました。一方で、近代的な紡績技術も海外から導入され、奈良県内でも天理市・郡山町・高田町には多数の紡績工場が誕生しました。
そんな近代化が進む中、馬見村(現在の広陵町西部、真美ヶ丘ニュータウン周辺)の吉井泰治郎(よしいたいじろう)さんという人が目をつけたのが「靴下製造」。アメリカから靴下編機を購入し、1910年(明治43年)に近隣農家の娘さんを集めて靴下製造を始めたことがきっかけとなり、周辺の地主さんを中心に靴下づくりが広がっていきました。
その後、昭和のはじめにかけて靴下製造は大幅に拡大。自動編みや口ゴム編みの機械が導入されるなど技術革新が進み、奈良県での靴下生産額は大阪・東京・愛知についで、全国4位になりました。
戦時中は一時的に靴下生産業者が減りましたが、戦後はふたたび復活を遂げ、農家の副業・兼業ではなく本業へと発展していきました。1951年(昭和26年)になると、ナイロン素材の国産化がきっかけとなり飛躍的に生産量が増加。伸び縮みにも対応できフィット性に優れたナイロン製の靴下はこの地域の経済を潤し、ついに広陵町は日本一の靴下生産量を誇る町になりました。
しかし、バブル崩壊後は円高のため輸入品が増え、1951年(昭和26年)には140軒あった広陵町の靴下業者も、平成元年には40軒まで減ってしまいました。そんな逆風の中、靴下製造に携わるみなさんは高付加価値化や原価低減などの工夫を凝らし、いまでも国産靴下の生産量シェアでは奈良県が6割を占め、広陵町はそのうち1/3ほどを支えています。最近では、そういった工夫が功を奏して「日本製の高品質な靴下が欲しい」と海外の方が百貨店を訪れたり、靴下専門のお店が登場するなど、靴下の需要は上向きになっているそうです。
実は、靴下の売れ行きには法則があり、「タイツが売れると靴下が売れなくなり、靴下が売れるとタイツが売れなくなる」とのこと。つまり、「靴下vsタイツ」の流行が定期的に循環する傾向があり、今は靴下優位の時代だそうです。以前の靴下優位時代は、1990年代のルーズソックス全盛期のころだったとか。
最近では、女性向けの柄としてはボーダーが人気。また、若い女性にはむくみを軽減する着圧ソックス、シニア向けには逆に締め付けすぎないゴムなしソックスが売れています。男性向けでも、最近ではカラフルな色使いや個性的な形状のものも増え、ファッション性が重視されるようになってきています。
さらに、最近はデザインはもちろん靴下の機能そのものも重視される傾向にあります。たとえば五本指に分かれた健康志向の靴下や、グリップの効いたランニング用靴下など、靴下業者のみなさんも工夫を凝らした製品を作っています。
広陵町では、地域のシンボルである靴下産業をさらに盛り上げようと2005年から「靴下まつり」を開催してきました。今年で11年目を迎えたこのお祭りはすっかり地域に根付き、昨年からは「靴下デザインコンテスト」という新たな取り組みもはじまりました。
実際に作られた靴下を展示中
中でもユーモア賞を獲得した作品「げソックス!」は、来場者からも大人気。作者さんいわく「5本指ソックスの分かれた指先をゲソに見立て、すそを折りかえすことでヒレを演出しています。」とのこと。コンテストの他にも、ご近所の畿央大学の学生さんといっしょに「靴下ファッションショー」を実施したり、靴下を使った動物のぬいぐるみ「ソックアニマル」の作り方教室を開催するなど、町をあげて靴下のPR活動を進めています。
というわけで、奈良県が靴下生産量日本一となった理由は、靴下をつくるための綿花の産地だったからでした。原料の産地、そして農家の副業からはじまった広陵町の靴下。安価な海外製品と競争しながら、ルーズソックスや機能性ソックスなど時代にあった製品を作り、力を合わせてしぶとく生き続けてきました。広陵町の靴下産業は、しっかりと地域に根付いて伝統を守りながら、世の中の動向を見据え、いまも新しい動きを紡ぎだしています。
※記事の内容は2016年2月取材当時のものです。記述内容が古い場合がございます。あらかじめご了承ください。