怪談「皿屋敷」のお菊の皿が
実在するって本当?
2021/08/02

怪談「皿屋敷」の皿が実在すると聞きました。本当にその皿があるのか、調査をお願いします。
皆さんは、怪談「皿屋敷」をご存じでしょうか。主人が大切にしていた皿を割った罪で、井戸に投げ込まれたお菊という侍女。お菊は成仏できず、夜な夜な井戸から化けて出てきては皿を数えます。「いちま~い、にま~い、さんま~い……。一枚、足りな~い。うらめしや~」と、悲しげに呟くお菊の話を一度は聞いたことがあるのでは?この怪談「皿屋敷」に似たような話は、実は日本各地に多くあって、特に「番町皿屋敷(江戸版)」と「播州皿屋敷(姫路版)」の2つの物語が広く知られているのだとか。

コワイけれど、お菊の皿が本当にあるなら見てみたい探偵たち。調べてみると、「滋賀県・彦根の長久寺にお菊の皿の実物が保管されている」との情報を入手しました!さっそく長久寺へ足を運んでみることにしましょう!

長久寺は、1042年に創建された歴史あるお寺。山門をくぐると緑豊かな境内が広がり、山の斜面に複数のお堂が並んでいます。のどかな雰囲気の境内を歩いていると、住職の松山さんが声をかけてくれました。お菊の皿はありますか?と尋ねてみると、「はい、ぜひ見ていってください」とのこと。探偵たちは、住職さんに案内していただくことにしました。


本殿に入り、「こちらをご覧ください」と松山さんが持ってきたのは大きな箱。ドキドキしながら蓋を開けてみると、白磁の皿が入っていました。もともと皿は10枚ありましたが、一部が紛失してしまい、現在残っている皿は6枚とのこと。どの皿も割れた形跡がありますが、これが本当にお菊の皿なんでしょうか!?

皿には厚みがあり、うっすらと美しい模様が入っています。そして、どの皿にも、バラバラになった破片をつなぎ合わせた修復の跡が……。お菊の怨みが感じられるようで、背筋がひんやり寒くなる探偵たち。しかし、松山住職は「皆さん皿屋敷と聞くと怖いイメージがあるようですが、彦根に伝わる物語はちょっと違うんですよ」と、探偵たちを安心させてくれました。皿はもともと、彦根藩初代藩主の井伊直政が関ヶ原の戦いで活躍したことから、徳川家康よりもらい受けたものだったそうです。その後、井伊直政は井伊家に仕えていた孕石(はらみいし)家に、大坂夏の陣での功績をたたえて褒美に皿を与えました。

事件が起こったのは1664年のこと。孕石家の世継ぎ・政之進とその侍女・お菊は恋に落ちます。二人は愛し合っていたものの、政之進にはすでに親が決めた婚約者がいて、早く祝言を挙げるよう急かされていました。思い余ったお菊は、「私と家と、どちらが大事なの?」と政之進の真意を確かめるため、孕石家の家宝10枚の皿のうち1枚を故意に割ってしまったのです……。
最初は、お菊が誤って割ってしまったのだと思っていた政之進。しかし、あとから真相を知ることとなります。お菊への愛情を疑われたことに逆上した政之進は、残りの皿をお菊の目の前ですべて割り、さらに愛していたお菊まで殺してしまいました。のちにお菊を殺めたことを悔いた政之進は出家し、生涯お菊を想い続けたそうです。

松山住職の話に聞き入る探偵たち。なんだか怪談というよりも、心がすれ違っていく男女の悲劇のように思えますね。ところで、先ほどの話は、探偵たちが聞いたことのある怪談「皿屋敷」とは少し違います。お菊を殺して井戸に投げ入れたり、井戸から化けて出てきたお菊が皿を数えたりする有名な場面はないのでしょうか?松山住職は探偵たちの疑問にこう答えてくれました。「長久寺に伝わる話には井戸も幽霊も出てきません。昔の屋敷には井戸が三つあり、それぞれ飲み水、馬の世話用、手洗い用と使い分けられていました。どれも生活には欠かせない大切なものだったので、お菊を井戸に投げ入れることは考えられませんね」。

ここで、松山住職は「ちなみに長久寺には、お菊の墓も残っているんですよ」と境内の墓地に案内してくれました。皿だけでなく、お墓までも!ドキドキしながら住職のあとをついていくと、階段状に並ぶたくさんのお墓の前に到着しました。「あそこにある三角頭巾を被ったようなお墓が、お菊の墓ですよ」と、このお墓にまつわる話を聞かせてくれる松山住職。当時、お菊の遺体と割られた皿はお菊の実家に引き取られました。悲運の死を遂げた娘のことを悲しんだ母親が割れた皿をつなぎ合わせ、長久寺の末寺である「養春院」に奉納したそうです。その後、養春院は明治時代に起こった仏教を排斥しようとする廃仏毀釈(はいぶつきしゃく)運動により廃寺となったため、お菊の墓と皿は長久寺へ。以来、同寺が代々供養を行っています。「実は、お菊の墓として伝わるものはいくつかあったため、候補の墓をすべて移したのです。長久寺に移してから一年経ったころ、その中の一つの墓石から『江月妙心』というお菊の法名がじわじわと浮かび上がり、本物のお菊の墓だとわかったそうです」。自然と文字が浮かび上がってくるなんて、なんとも不思議なお話ですね……。探偵たちはお菊の墓に向かって静かに手を合わせました。

また長久寺には、お菊の供養をしたときの寄進帳も保管されていました。寄進とは、供養のための寄付をすることで、寄進帳には寄付をした人物の名前が書かれます。お菊の死を憐れんだ女中たち292人もの名が記載された寄進帳には、お菊の悲恋を知り、「少しでも心安らかに眠ってほしい」と願った大勢の女性たちの思いが感じられます。

長久寺では、毎年8月9日の「千日法要」でお菊と皿の供養を行っています。また、8月9~10日は皿が一般公開されているそう。松山住職は「お菊と皿をこれからも代々大切に供養していきたいですね」と語ります。
怪談「皿屋敷」に出てくる皿を探しに来た探偵たち。ちょっぴり怖い怪談話を聞きに来たつもりが、思いがけなく悲しい恋の物語を聞くことになりました。長久寺を訪れる人たちは、「大切な人の気持ちを確かめたいのは今の時代も同じ。お菊は政之進を本当に愛していたのでしょうね」と、お菊の切ない思いに共感する人が多いそうです。皆さんも機会があれば長久寺を訪ねて、彦根に伝わる皿屋敷の物語に思いを馳せてみませんか。

※お菊の皿は普段は非公開です。事前にご連絡をいただいた方にのみ公開しています。なお、8月9~10日は皿を一般公開しています。

- 長久寺