炎の探偵社

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ほっとする灯りを未来へつなぐ、日本で唯一のハリケーンランプ職人!

2021/04/05
依頼内容

日本で唯一のハリケーンランプ職人が、八尾市にいると聞きました。ハリケーンランプとはどんなランプですか?探偵さん、調査をお願いします。

ハリケーンランプとは、嵐のような強い雨風が吹いても灯した火が消えないオイルランプのこと。風の影響を受けにくい構造で雨風に強いのはもちろん、20世紀初頭からほぼ変わらないレトロな見た目も魅力です。昨今のアウトドアブームや自宅で楽しむ「おうちキャンプ」の流行もあり、最近人気が急上昇しているそう。探偵たちが調べたところ、現在日本国内でハリケーンランプの製造を行っているのは、大阪・八尾市にいる職人さんたった一人だけとのこと!いったいどんな方が作っているのか、調査に向かうことにしました。

キャンプのおともにぴったりのハリケーンランプ
キャンプのおともにぴったりのハリケーンランプ

探偵たちが到着したのは、八尾市内の工場地帯の一画にある「株式会社WINGED WHEEL(ウィングドウィール)」。工場の中を覗いてみると……、さっそくハリケーンランプを発見しました!初めて見るハリケーンランプは、ずっしりとした重厚な見た目で美しいフォルムが印象的です。火をつけるとどんな雰囲気になるのかな?とマイマイ姉妹が話していると、「灯りをつけてみましょうか?」と、社長の別所由加さんが声をかけてくれました。

オイルが染みた芯に点火すると、ガラスの筒に炎が反射し、優しい灯りが周りにふわっと広がりました。別所さんは「この『ほっとできる灯り』を作り出せるよう、透明感のあるガラスを使ったり、主軸がズレないよう組み立てるなど技術を磨いています」と話します。どこか心が癒されるようなこの灯りが、ハリケーンランプの魅力なんですね。

WINGED WHEEL現社長を務める別所由加さん
WINGED WHEEL現社長を務める別所由加さん

ここで探偵たちは、別所さんにWINGED WHEELの歴史について聞いてみることにしました。同社の前身は、大正13年に創業した「別所ランプ」。ホウロウ職人だった別所さんの曾祖父・留吉さんが、ハリケーンランプの製作を始めたそうです。別所さんによると、「当時はまだ国産のハリケーンランプがなかったため、曾祖父はドイツから取り寄せたランプを解体し、部品をイチから手作りして、試行錯誤を重ねながら10年の歳月を費やして完成させたそうです」とのこと。

同社のランプは性能の良さが認められ、昭和初期には国内だけではなく海外にも広く輸出されました。昭和8年には、「合資会社 別所ランプ製作所」として、本格的にハリケーンランプの製造をスタート。当時の別所ランプ製作所は、従業員200人を抱え、1日2,000個ものハリケーンランプを作っていたそうです。また、この頃ランプ業界は、大阪の地場産業として最盛期を迎えていました。しかし、電灯の普及などで、衰退の一途をたどるように。1950年代に多くのランプ製造会社が廃業する中、別所ランプ製作所はランプを作り続けてきましたが、やはり時代の流れには逆らえず、2003年に倒産してしまいます。

工場でハリケーンランプを製作している様子(昭和初期)
工場でハリケーンランプを製作している様子(昭和初期)

その後、別所さんの母は、ハリケーンランプ作りの炎を途絶えさせないよう、祖父の時代から働いていた職人たちとランプ作りを再開し、2007年に「WINGED WHEEL」という新たな看板を掲げました。一方別所さんは、中学、高校とドラムに熱中して、大阪芸術大学へ進学。「芸大に入ったものの、他の学生と比べると、私には人生の全てを音楽に捧げられるような情熱はないと感じました。また、心のどこかでは『いつかは自分が家業を継ぐのかな』という思いもあったんです。それでいったん大学を休学して、工場で母の手伝いをするようになりました。でも母は、この業界が先細りなこともあり、娘に継がせるつもりはなかったようですね」。

創業当時から作られてきたハリケーンランプの数々。形がほぼ変わっていないことが分かります
創業当時から作られてきたハリケーンランプの数々。形がほぼ変わっていないことが分かります

転機が訪れたのは2011年。これまでハリケーンランプの製造を支えていたベテラン職人さんが急死したのです。「その職人さんを失ってランプ作りができない状況に直面した時、初めて母が『もうダメかもしれん』と弱音を吐いたんです。それを聞いた瞬間、『そんなら私がやったる!』と、ランプ作りの職人になることを決めました。これまで先代たちが繋いできたランプの炎をここで絶やしてはいけない、私がやらなければと強く思ったんです」。そんな思いがとうとう母を動かし、同年、別所さんは大学を中退して、WINGED WHEELに正式に入社しました。

由加さん(中央)と、前社長の別所二三子さん(左)、当時の工場長の杉中さん(右)。現在は、由加さんと二三子さんのふたりで力を合わせてランプ作りを続けています
由加さん(中央)と、前社長の別所二三子さん(左)、当時の工場長の杉中さん(右)。現在は、由加さんと二三子さんのふたりで力を合わせてランプ作りを続けています

覚悟を決めて入社したものの、やはりさまざまな困難が由加さんを待ち受けていました。ハリケーンランプを作るには、ブリキの一枚板をカットし、数百個の金型やプレス機を使って手作業でパーツを作り、それらを組み立て……と、完成までの工程がなんと300にも及ぶのだとか!さらに、その技術は職人さんの口伝えのみで受け継がれてきたので、作り方をまとめたマニュアルなどは一切なし。すべての工程を把握している人は誰もいませんでした。

「これはヤバイ、とにかくすぐに作業工程を把握しなければ」と思った別所さんは、工場長に朝から晩までついて回り、見たことを逐一ノートに書き留めていきました。「職人にとっては、見て、身体で覚えろというのが当たり前なので、とにかく事細かに記録し続けました。工業高校も出ておらず、機械系に強いわけでもないんですが、もともと負けん気の強さと謎の自信があって(笑)、理屈さえ分かればできると思ったんです」。

作業工程を記録したノートは、なんと現在60冊目!
作業工程を記録したノートは、なんと現在60冊目!

しかし、作業工程を頭で理解していても、実際にはなかなか思ったように工作機械を動かせなかった別所さん。そこで彼女が次に取り組んだことは、「機械と仲良くなること」でした。作業の合間を縫って、工場にある機械一台一台と向き合う日々が始まります。それぞれの機械の仕組み・動作をとことん突き詰め、データを細かく取るなど格闘すること数年。最近になって、ようやく最後の一台までたどり着いたそうです。

写真左:昭和初期から代々受け継がれてきた工作機械の数々、写真右:必要なパーツを一つひとつプレスして作る別所さん
写真左:昭和初期から代々受け継がれてきた工作機械の数々、写真右:必要なパーツを一つひとつプレスして作る別所さん

現在、WHINGED WHEELの職人は別所さんただ一人。創業当初からほぼ変わらない製造方法を引き継ぎ、昔ながらのハリケーンランプを作り続けています。一方、2016年には新たな取り組みをスタート。これまで培ってきた技術を生かし、現代の生活スタイルに合った新しいオイルランプのブランド「FLAME SENSE」を立ち上げました。そして、2020年12月には、老舗のガラスメーカー「菅原工芸硝子」とのコラボレーションで、同ブランドの新シリーズ「gentle」が誕生。コロナ禍のなかで試作を重ね、約一年かけて完成させました。「菅原工芸硝子さんならではのスタイリッシュなフォルムと透明感が、優しい灯りとよく調和する……そんなランプを作ることができました」と別所さんは胸を張ります。

「FLAME SENSE」×「菅原工芸硝子」が生んだオイルランプ「gentle」
「FLAME SENSE」×「菅原工芸硝子」が生んだオイルランプ「gentle」

最後に、別所さんはランプ作りについてこう力強く語ります。「伝統のハリケーンランプを作り続けることも、新しいオイルランプの開発も、私にとってはランプの生き残りをかけた戦いなんです。ランプを未来へ繋いでいくためにどうすればいいのか?ランプを長く好きでいてもらうためにはどうすればいいのか?試行錯誤を重ねながら戦っていきたいですね」。ハリケーンランプの灯りのように、心の中で強く、長く燃え続ける思いを持つ別所さん。彼女が作り出す「ほっとする灯り」が、これからもランプを通して人々の心の中に優しくともり続けますように!と願う探偵たちでした。

ランプの灯りに癒される~
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