黒蜜?それとも酢じょうゆ?
東西で異なるところてんの食べ方
2021/03/01

関西ではところてんに黒蜜をかけて食べますが、関東では酢じょうゆをかけると聞きました。なぜ食べ方が違うのでしょうか?探偵さん調べてきてください。
ところてんとは、天草(てんぐさ)という海藻を煮溶かして冷やし固め、細い麺状にした食べ物です。さっぱりとした口当たりで、ツルンとしたのど越しが魅力ですよね。ところで、皆さんはところてんに何をつけて食べていますか?関西生まれの探偵は昔から黒蜜をかけて食べますが、この食べ方は関西だけなのでしょうか。探偵たちは、京都市のところてん専門店「濱長(はまちょう)本店」でお話を聞くことにしました。

お店に入ってみると、黒蜜や二杯酢・三杯酢(それぞれ酢じょうゆの一種)などのタレが付いたところてんが店頭にずらりと並んでいました。

店長の飛田さんに売れ筋を聞いてみると、こう教えてくれました。「当店では、日本各地にところてんを出荷しています。関西だと8割程度の方が黒蜜を購入されますね。それに対して、関東はほぼ全ての注文が酢じょうゆです。お客さんの好みがくっきりと分かれていて面白いんですよ」。どうやら、関西は黒蜜、関東は酢じょうゆと、地域によって違いがあるようですね!

濱長本店を訪れ、関西と関東でところてんの食べ方が違うのは分かりましたが、なぜそのような違いが生まれたのでしょうか?そこで次は、食文化の研究家である、歳時記×食文化研究所の北野智子さんに話を聞いてみることにしました。北野さんは、食のエキスパートとして食に関する記事を執筆したり、百貨店などの食文化イベントの企画や、飲食店のレシピ開発などにも携わっています。

北野さんは、「最初に、ところてんの歴史からお伝えしましょう」と、いろいろな資料をもとに説明してくれました。「ところてんは、日本では奈良時代から食べられていたといわれています。同時代の正倉院文書に、東大寺写経所の写経生にところてんが支給されていたという記録が残っています」。続いて北野さんは、「室町時代の『七十一番職人歌合』に描かれているところてん売りの絵から、この頃すでに天突き器でところてんを突いて麺状にしていたことがうかがえます」と教えてくれました。

その後、江戸時代に入ると、ところてんは庶民の間にも広まったそうです。江戸時代の三都(京都・大阪・江戸)の風俗・事物を説明した随筆『守貞謾稿(もりさだまんこう)』には、京都・大阪では砂糖をかけ、江戸では醤油か砂糖をかけて食べたと書かれています。
北野さんによると、「都が身近にあり、茶の湯が発達していた京都・大阪では、菓子文化が花開き、甘味は人々の間に広く浸透していたと思われます。江戸時代後期になると、大阪にたくさんの琉球産の黒砂糖が海路で運ばれ、白砂糖に比べて安価な黒砂糖は庶民の間で普及しました。黒砂糖を使ったお菓子が広まり、さらに黒砂糖を煮詰めた黒蜜をところてんにもかけるようになったのではないか」とのこと。
一方、関東でところてんに酢じょうゆをかけるようになったのは、江戸でも醤油造りが始まったことが関係していると考えられるそうです。「江戸の醤油は、濃口醤油で、江戸で生まれた蕎麦や鰻など濃い味付けにぴったりで、人々の好みに合ったものでした。酢については、こちらも江戸で生まれたにぎり寿司が関わっているのではないかと思われます。屋台の店先で、手でパパッと食べられるにぎり寿司は、せっかちで粋な食べ方を好む江戸っ子に大人気となりました。その寿司に使われている酢そのものにも人気が出たのではないでしょうか。こうして、江戸で造った醤油と人気の酢を、ところてんにもかけるのが『江戸の粋な食べ方』とされたのではないかと思います」と北野さん。この頃には、関西では黒蜜、関東では酢じょうゆと、食べ方に違いがあったようですね!

ところで、他の地域ではところてんをどのように食べているのでしょうか。北野さんにお聞きすると、実は地域によってもっといろんな食べ方があるとのこと。「例えば、讃岐うどんが名物の香川県では、めんつゆとショウガで食べられていると聞いたことがあります」。他にも探偵たちが調べてみたところ、かつお漁が盛んな高知県ではかつお出汁ベースの土佐醤油、名古屋ではゴマ・きざみ海苔・からしを混ぜた二杯酢をかけて食べられていることが分かりました。

「ところ」が変われば、食べ方も変わる「ところ・てん」。調査した結果、ところてんに黒蜜をかけるのは、関西だけだと知ってビックリ!全国「ところ・どころ」を「てん・てん」と調べてみると、他にもユニークな食べ方に出会えるかも?皆さんも周りの人たちとところてんの食べ方について話してみてはいかがでしょうか。地域の特色が分かって面白いかもしれませんよ!


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濱長本店
- 歳時記×食文化研究所 北野さん