クルミなのに緑色?!鎌倉時代から続く
堺市名物「くるみ餅」のナゾ
2020/06/08
最近大阪に引越してきたのですが、先日食べたくるみ餅が緑色をしていて驚きました。調査をお願いします。
みなさんは「くるみ餅」と聞いて、どんなものを思い浮かべますか?探偵たちが調べてみたところ、クルミをくだいてお餅に練りこんだものや、クルミの餡(あん)をお餅にかけたものが一般的で、いずれも緑色ではなく薄茶色のようです。一方、今回の依頼者さんが食べたくるみ餅は緑色だったとのことですが、一体どういうことでしょうか?
クルミは茶色なのに、緑色???もしかして、若いクルミの実を使ったり、クルミの葉っぱを使ったりしているのでしょうか?それとも何か、青じそなどのような他の植物が混ざっているのでしょうか…?と、緑色のくるみ餅が気になってしかたがない探偵たち。続いて詳細調査を進めると、大阪府堺市の和菓子店「かん袋(かんぶくろ)」では、緑色の餡を使ったくるみ餅を販売していると判明!話を聞くため、さっそく現地へ向かいます。
お店に着いた探偵たちに「いらっしゃいませ!」と声をかけてくれたのは、店主の今泉さんです。くるみ餅について詳しくお話を聞きたいと今泉さんにお願いしたところ、「よかったら、まずは当店のくるみ餅を食べてみてください」と店内へ案内してくれました。
探偵たちが席に着くと、まもなく「くるみ餅」が運ばれてきました。つやつやのお餅に、確かに緑色の餡がたっぷり・・・!さっそくお餅に餡をからめて、1つパクリ。もっちもちのお餅とトロッとした甘い餡のバランスがばっちりで、パクパク食べられちゃいます!
あっという間にくるみ餅を食べ終えた探偵たちは、改めて今泉さんに「どうして、かん袋のくるみ餅は緑色なんですか?」と質問してみました。すると、今泉さんはニッコリ笑って「他のお客さまからもよく質問されるのですが、実は、当店のくるみ餅にはクルミを使用していないんです。餡で餅を『くるむ』から、くるみ餅という名前をしているんです」と教えてくれました。なるほど、同じ響きですが、くるみはくるみでもくるみ違い…!クルミが入ったくるみ餅とは、そもそも別物だったんですね。
続いて、今泉さんはお店の歴史について話を進めます。「元徳元年(1329年)、ご先祖の和泉屋徳兵衛が和泉屋という名の餅屋を開いたのが当店の始まりです」。1329年というと鎌倉時代!今泉さんは27代目の店主だそうで、約700年も前から続いているなんてびっくりです。
驚く探偵たちを前に、今泉さんのお話は続きます。かん袋の『くるみ餅』の原型ができたのは室町時代中期、5代目主人の和泉屋忠兵衛の頃。当時、堺の町は明(当時の中国)との勘合貿易で栄える港町でした。この頃から和泉屋では餡をかけたお餅を売り出し始め、「くるみ餅」の原型ができたと伝わっています。ただし、当時はまだ砂糖が広まっていなかったので、当時の餡は現在の甘い餡とは違い塩味が効いたものでした。今泉さんは、笑いながら「私も、塩気が効いた餡の味を再現しようと試しに作ってみたんですが、まったく美味しくなくて…(笑)」と話します。では、先ほど食べたトロリとおいしい甘~い餡は、どうやって作っているのでしょうか。探偵たちが今泉さんに質問してみたところ、「うちの餡は、代々店主にだけ伝わる秘伝のレシピで作っています。レシピを公開することはできませんが、添加物は不使用なので、どなたでも安心して召し上がっていただけますよ!」と、上手にかわされてしまいました。
ここで、今泉さんは「話はかわって、実は当店にはもうひとつ面白い逸話があるんです。うちの店名の『かん袋』は、豊臣秀吉によって名付けられたんですよ」と、店名の由来について語り始めました。
天正11年(1583年)、本能寺の変を経て織田信長の後継者として実権を握った豊臣秀吉は、大坂城の築城に着手しました。築城には莫大な費用がかかるため、秀吉は堺の商人へ多額の寄付を募ったそうです。そして、当時の和泉屋店主・徳左衛門さんをはじめ、秀吉からの要請に応じて寄付金を提供した商人たちは、寄付への返礼として建設途中の大坂城に招かれました。招待をうけて築城現場に足を運んだ徳左衛門さんは、重そうな屋根瓦を1枚ずつ運ぶ職人の様子を見て、これでは埒が明かない…と思い、なんと自分も築城の手伝いをすることに決めたのです。徳左衛門さんは、餅つきで鍛えた自慢の腕力を活かして屋根瓦を軽々と放り投げ、屋根の上にいる職人にどんどんと渡していきました。その場にいた人々はすっかり度肝を抜かれ、話を聞きつけた秀吉も、その場面を見て「屋根瓦を投げている様子が、まるでかん袋(紙袋)が舞い散るようだ!」とたいそう褒めたのだとか。そして、毎日懸命に働く徳左衛門さんに対して、秀吉からは「かん袋」という名が与えられ、徳左衛門さんはその名をお店の屋号としたのだそうです。
かん袋は、それからもおいしさに磨きをかけ続け、地域の人々からお茶屋さんとして愛されてきました。明治時代には、当時アメリカやイギリスから輸入が始まりつつあった製氷機を使って、くるみ餅にかき氷を乗せた「氷くるみ餅」を販売開始。夏には大勢の人が涼しさを求めて行列を作りました。このメニューは、今でもお店で季節を問わず人気なのだとか。また、堺市名物として有名になったくるみ餅を遠方から買いに来るお客さんも多いため、同店ではお持ち帰り用の商品も開発しました。レトロで渋い壺入りバージョンを含め、さまざまな容器・サイズの商品が用意されています。ちょっとした手土産としても喜ばれそうですね♪
最後に、今泉さんに、27代目店主としてのこだわりを聞いてみました。「昔から愛されてきた味を、一生懸命に美味しく作り続けること。さらに、昨日よりも美味しいものを作り出すという気持ちを持って、職人としての腕を磨いています。やはりこれに尽きますね…」。この言葉を聞いて、鎌倉時代から続く700年もの歴史を受け継ぎつつも、この「くるみ餅」をさらに進化させようという熱い想いを感じた探偵たち。堺市を訪れた際には、ぜひ一度、遠い昔に想いを馳せつつ名物「くるみ餅」を味わってみてはいかがでしょうか。
※今回の記事は2020年2月に取材した内容で構成しています。