SLの心臓を蘇らせる!
アツイ想いを未来へ引き継ぐ技術者たち
2019/12/02

SLのボイラーのメンテナンスをほぼ一手に請け負っている工場が、大阪のどこかにあるそうです。いったいどんな工場なのでしょうか。
煙突からもくもくと白い煙を吐き出しながら走る姿が迫力満点のSL。昔を懐かしむ年配の方から、その姿を新鮮に感じる子どもたちまで幅広い世代を魅了しています。SLは石炭を燃やして水を沸騰させ、そこで発生した蒸気の力を利用して、車輪を動かします。そして、その蒸気をつくるボイラーは、SLの心臓部ともいわれています。探偵たちが調べたところ、ボイラーの修理を行っている大阪・中津の株式会社サッパボイラを発見。同社は、現在日本のSLで使用されているボイラーのメンテナンスを、ほぼ一手に引き受けているようです。探偵たちは、さっそく調査へ向かいます。

淀川沿いの住宅街の一角にある同社に探偵たちが訪れたところ、赤茶色にさびた巨大で長い鉄の塊が工場内に鎮座しています。もしかしてこれがボイラーなのでしょうか?

「そうです。これが機関車の黒い外装を取り外した状態のボイラーです」と教えてくれたのは、代表取締役社長・颯波(さっぱ)郁子さんと常務取締役工場長・颯波隆友さんです。ちなみにお二人はいとこ同士だそう。なんだか雰囲気が似ていますね!

同社は、1918年にお二人の高祖父(お祖父さんのお祖父さん)にあたる颯波曽太郎さんが「颯波鉄工所」を創業したのがその歴史の始まり。郁子さんは「創業当時は、紡績工場、病院などの産業用ボイラーの製造・メンテナンスを行っており、昭和初期からは国鉄の施設関係にボイラーを多く納入してきました。その中で、SLボイラーも手がけることとなります。当時、工場のすぐ側の淀川沿いには運河があり、ボイラーの運搬に最適だったそうです」と話します。

そんな中、動力近代化計画にともなって、国鉄は1975年頃から蒸気機関車を計画的に廃止していきました。しかし、1987年に転機が訪れました。初めて、長い期間野ざらしになっていたSL車両のボイラー修復を依頼されたのです。隆友さんはその時の様子をこう振り返ります。「小学校の校庭で放置されたSLは、かなり腐食が進んでおり、製造当時の部品はもちろんなく、構造も非常に旧式のものでした。先代は、再び命を与えて動かすことができるだろうか……と頭を悩ませたようです」。しかし、SLボイラーの修復には、リベット止めという技術が欠かせません。リベット止めとは、鉄板を重ね合わせて穴をあけ、そこにリベット(びょうとも呼ばれる金属製の締め付け部品)を入れ、固定する技術のこと。一般的に戦前の鋼構造物によく用いられていた技術ですが、徐々に使われなくなり、その技術を持つ工場は少なくなっていったようです。先代は、「このままだと、このSLは死んでしまう。わが社で修復して蘇らせてあげないと」という想いから、修復を引き受けたそうです。

ちなみに、一台にかかる修復期間は半年程度。現在に至るまで同社がボイラーの修復・メンテナンスを手がけたSLは、のべ40台以上となります。事前に不具合の箇所を聞いて段取りをしていても、実際ボイラーの外装を外してみると新たな問題が見つかるのは日常茶飯事。隆友さんはこう話します。「作業開始時に計画していたとおりには進まないのが当たり前です。しかし、たくさんの失敗を経験した技術者みんなの知識と経験を持ち寄って、様々な角度からアプローチできるのがウチの強み。工程を工夫したり、道具をつくったり、知恵を絞ってやりきれるんです」。

ここで、郁子さんは「東日本大震災復興のシンボルとして、岩手県の観光列車『SL銀河』が復活したのはご存知ですか?あのボイラーもわが社が修復を手がけたんですよ」と紹介してくれました。「試運転の際には、社員旅行も兼ねてみんなで岩手を訪れました。普段修復に携わっていても、SLに乗るのは初めての社員もいて、煙を吐きながら走るその迫力に感動していました」。

最後に、隆友さんは「ボイラーの修復技術を次の世代に残していくことが私たちの使命だと考えており、そのためには若手の育成が不可欠です」と話してくれました。この言葉の通り、サッパボイラでは、ベテランと若手がともに力を合わせて業務に取り組むことで、貴重な修復技術の伝承に注力するとともに、「SLの命は私たちが守り続ける!」というサッパボイラ魂を若手にもしっかりと浸透させていっています。関西では京都鉄道博物館などで、サッパボイラがメンテナンスを手がけているSLに乗車できます。みなさんも、力強く走るSLの姿を見かけたら、技術者たちの想いをぜひ感じてみてください。

