あおがないうちわがあるって、本当?
2019/04/15
あおがないで使ううちわが京都にあると聞きましたが、どんな使い方をするのでしょうか?
うちわと言えば、暑さをしのぎたいときやちらし寿司の酢飯を冷ますときに使う、風を起こすための道具。あおがないなら、いったいどんな使い方をしているというのでしょうか?
気になってしかたない探偵たちが調べたところ、京都に元禄2年(1689年)から続くうちわの老舗として「阿以波(あいば)」という店があるとわかりました。ここなら何かわかるかもとひらめいた探偵たちは、京都市内にある店舗と工房を訪れることに。工房では職人さんたちが黙々とうちわづくりに取り組んでいます。それを見ながら、十代目当主の饗庭(あいば)さんにお話をおうかがいすることにしました。

「古来うちわは、身分の高い人が顔を隠すために用いられていました」と、饗庭さんは語ります。顔を隠すための道具!?今とはかなり違いますね。そもそもうちわは、中国の周の時代(紀元前3世紀)には使われていたという記録があり、日本へ伝わったのは6~7世紀ごろだと言われています。「高松塚古墳の有名な壁画にも黄色い衣装を着た女性が、顔の前にうちわを掲げて隠している姿が描かれています。神格化された方や身分の高い方の顔が直接見えないように用いられました」とのこと。身分の高い方々の間ではそれが礼儀であり、権威を示すことでもあったのです。今とは違った使われ方にビックリ。

その後、神社の御神体を隠したり、朝廷の儀式などにも使われるようになったうちわは、室町時代に入ると武将の軍配として使われたり、活躍した家臣への褒美として与えられるものになりました。そこからさらに時代が進んで、涼をとるのに使用されるうちわが出てきました。

江戸時代に入ると、うちわが紙と竹でつくられるようになったことで手に届きやすくなり、木版刷りといった技術の発達によって、商家では店の名前や屋号紋を印刷したうちわを贈答品として使うようになりました。絵や柄を自由に表現できたことが、うちわを贈る側にとってよかったのではないかと饗庭さんは考えています。また、店の宣伝だけでなく、暑いときにはこれを使ってしのいでくださいという思いが込められているため、もらう側も喜んだのでしょう。

それからさらに現代に入り、エアコンの台頭や気密性に優れた家が数多く建てられるようになったことで、うちわを使う機会はすっかり減ってしまいました。ずっとうちわをつくり続けてきた阿以波は、うちわなだけに逆風にさらされることに……。

逆風の中、阿以波の店が吹き飛ばされずにすんだのは「透かしうちわ」のおかげ。骨に扇型の紙が全面に貼られている一般的なうちわと違い、透かしうちわは紙が全面に貼られておらず、細い骨に繊細な切り絵細工が施されています。うちわの表面はもちろん、ライトや日光が当たると壁に浮かび上がる陰影までも楽しめます。その美しさに探偵たちはうっとり見とれてしまいました。

饗庭さんは、透かしうちわについてこう語ります。「眺めて涼をとるアイデアを思いついて、夏を感じさせる模様を入れた透かしうちわを試しにつくって販売してみたんですよ。そうしたら、最近になってお客さまから『冬に合ううちわはありませんか?』という問い合わせが増えてきたんです。詳しく聞くと、花を生ける代わりに透かしうちわを飾って楽しんでいただいていることを知ったんです」。以来、さまざまな四季の模様が入ったうちわをつくるようになったそうです。

さて、これらの繊細で優美な透かしうちわは、どのような工程を経て完成するのでしょうか。饗庭さんにお願いして、工程を見せてもらいました。
まず骨となる竹をしばらく水につけて割りやすくし、竹の上端に5㎜の刻みを入れたものを揉んで割り、細竹をつくります。続いて、仮張りに貼られた骨組みを本紙に移し替えて貼ります。紙に糊をつけず骨についた糊で仕上げることで、うちわがまるで障子紙のように美しい姿に仕上がるのです。透かしうちわの絵柄には、素材や模様など特別な決まりはありません。手描きに木版、箔押しなど実にバリエーションが豊富。最後に柄を糊づけして、完成です。

「高貴な人の希少品」から「庶民の日用品」、そして「現代人のインテリア」へと、時代とともに変化を遂げてきたうちわ。「うちわの文化を守るために最も大切なのは、出番を増やすこと。使ってもらい、見てもらう機会を増やすことで、うちわの文化・魅力を広く伝えていきたいと思っています」と饗庭さんは話します。
職人さんの熟練の腕で仕上げられた透かしうちわの繊細な細工は、ちょっとそこに置くだけでも優雅な気分になれるもの。床の間に季節の花を飾るように、四季折々の花鳥風月をあしらったうちわを飾って、季節感を堪能してみてはいかがでしょうか。

