兵庫の山奥にある地下迷宮は、
ロマンあふれる産業遺産だった!
2018/02/05

兵庫県の山奥にあるという明延鉱山探検坑道は、どんなところなのでしょうか?
依頼を受けて、明延鉱山について調べてみました。兵庫県養父市大屋町にある鉱山の歴史は古く、約1,300年前の天平年間には開山していたとされ、奈良・東大寺の大仏鋳造の際には同鉱山から産出された多量の銅が献上されたと伝えられています。明治政府誕生後は官営鉱山となり、西洋の進んだ鉱山技術を導入して最新技術を取り入れ日本の近代化を牽引。1987年に閉山するまで、国内の錫(すず)の9割以上を産出する「日本一の錫の鉱山」として栄えました。2017年には「日本遺産」として文化庁が認定。なんと世界に誇れる産業遺産なのです!
そんなすごい鉱山の中は、一体どうなっているのでしょう?探偵たちは現地へと向かいました。

探偵たちが最初に訪れたのは、「あけのべ自然学校」です。明延鉱山の閉山とともに閉校となった小学校を再活用した施設で、自然体験の場を提供しています。坑道の案内をしながら鉱山の歴史や文化、産業遺産などの魅力を紹介する「明延鉱山ガイドクラブ」の拠点でもあります。

「今は大人も見学することができますが、オープン当初は子どもに地域の歴史を教える“教育施設”としての役割を担っていました。そのため観光化せず、通路の舗装などもしていませんが、それが当時の趣を生で感じられると、探検好きな方に人気です」と語るのは同学校でガイドも担当するスタッフ・高田さん。その言葉に期待が高まります。

では、いよいよ坑道内へ!薄暗い中、鉱石を運搬したトロッコのレールを発見。いきなり映画「インディ・ジョーンズ」の世界に迷い込んだような気分に。

「当時の坑道総延長は、東京~大阪間の東海道新幹線に匹敵する550km。垂直距離は東京スカイツリーより深い約1km。鉱脈に沿ってどんどん掘り下げられ、なんと海面下約140mまで達しているんですよ!」と高田さん。そのため、平坦なコースではなく、立体的に坑内を見て回れるのが、この探検坑道の魅力のひとつです。まさに地下迷宮とはこのこと。江戸時代は、鉱石を求めてノミとツチを使って人力で掘られていたとか。気が遠くなるような作業の跡は、今も坑道内に残っています。
坑道をさらに進んでいくと、岩肌がキラキラ輝いています。ここで採掘される鉱物種は錫、銅だけでなく、亜鉛や鉛、タングステン、金、銀など約40種にもなります。特に錫は、閉山するまで国内の産出量の90%以上を占めていたとか。宝の山のような岩肌は、酸化によって色が変化してとても神秘的。エメラルドグリーンの銅にシルバーの亜鉛、ゴールドの黄銅、褐色や黒色の錫など、色合いが実に多様で鮮やかです。

また、電車好き、機械好きの心をくすぐるポイントも満載。鉱物を運搬するために使われたトロッコが走ったレールや、最盛期の昭和30年代に使用されていた削岩機など、すべて当時の姿のまま残されています。

写真左下:約100mまっすぐに続くトンネル、写真右下:2t蓄電池式機関車
鉱山探検から地上に戻り、高田さんに周辺を案内してもらいました。最盛期には、この地区に鉱山従業員とその家族など、約4,200人もの人口を誇り(昭和31年)、長屋社宅や鉄筋コンクリート製の近代住宅が建設されました。社宅だけでなく、娯楽・集会施設やデパートもあり、有名な芸能人が来演したそうです。社宅はお風呂がなかったため、地区内6ヶ所に共同浴場がありましたが、現在は「第一浴場跡」のみ残っています。

さらに歩いていくと、当時の名残を感じられるかわいい電車を発見。昭和20年から昭和60年まで明延~神子畑間を運行して、従業員の移動用や家族の通学用として利用されていた、通称「一円電車」です。1日の乗降数を数えやすくするために乗車料が1円だったため、この愛称で親しまれたとか。現在、4月~11月は毎月1回定期運行されており、1円で乗車可能。鉱物を運ぶトロッコのサイズでつくったため、車体はとてもコンパクト。座席に座ると膝がくっつくようなサイズ感の車体が、現在は70mの距離をガタゴトと走ります。

調査に訪れた日は雪がひざ元まで積もっていましたが、鉱山の様子を肌で感じ、魅力や面白さを実際に体感した探偵たちにとっては、アドベンチャー魂に火がつく熱い1日となりました。日本の近代化を支え、国家プロジェクトとして世界の最新技術が数多く導入された明延鉱山。日本の歴史を体感できる場所として、一見の価値ありです。

4月~10月末は毎週日曜日に見学会を開催(詳細はあけのべ自然学校HPをご確認ください)。また、坑道内には、落とし穴状態になっている場所があったり、道に迷うこともあって危険です。無断で侵入するなどの、危険な行動はお控えください。
