マイ大阪ガスは、2021年3月にポイント制度などのリニューアルを行いました。この記事はリニューアル前のもののため、ポイント関連の記述を含め、記述内容が古い場合がございます。あらかじめご了承ください。

炎の探偵社

ログインして調査を依頼

調査FILE

5

3

山奥にひっそりと残る謎の遺跡!?
その名も「デレーケエンテイ」

2017/11/20
依頼内容

京都府木津川市に「デレーケエンテイ」と呼ばれる謎の名前の場所があるようなのですが、これが何なのかさっぱりわかりません。探偵さん、調べてきてください!

探偵が持っている辞書によると、「エンテイ」とはどうやら「堰堤」のことで、治水・砂防などの目的で、河川や渓谷を横断してつくられる堤防を指す言葉だそう。でも、デレーケという不思議な響きの言葉に、謎が深まります。この謎の言葉「デレーケ」とは何なのか。デレーケ堰堤があるという不動川砂防歴史公園に、潜入開始です!

不動川砂防歴史公園に到着!
不動川砂防歴史公園に到着!

公園は木に囲まれていてキャンプ場のよう。魚が泳いでいる池や、小さな子どもも遊べそうな浅い小川がありました。歩き始めるとすぐに、園内のデレーケ堰堤を示した看板とジオラマを発見しました。場所を確認して、さっそく向かってみます。

看板にデレーケ堰堤の文字が!
看板にデレーケ堰堤の文字が!
ジオラマ発見!デレーケ堰堤はかなり山の上のほうみたい
ジオラマ発見!デレーケ堰堤はかなり山の上のほうみたい

川沿いの道を3分ほど歩くと、石を積んでつくられたレトロな堰堤が目の前に現れました。先ほどの看板と見比べてみたところ、どうやらここがデレーケ堰堤のようです!堰堤は公園内の数ヶ所にあり、どれも石でつくられた堰堤と木々が調和して、独特の雰囲気を醸し出しています。気分はすっかり探偵というよりも、お宝を探しにやってきた探検家です。

デレーケ堰堤発見
デレーケ堰堤発見
これもデレーケ堰堤。なんだか映画のセットのような雰囲気
これもデレーケ堰堤。なんだか映画のセットのような雰囲気

公園内の堰堤に気をとられていた探偵たち。ふと公園の中央を見てみると、男性の銅像があることに気づきました。一体誰なんでしょうか。

あなたはいったいだあれ?
あなたはいったいだあれ?

そばに寄ってよく見ると……、銅像の下に「J. de Rijke」と書かれています。J. デレィ、とスペルを読み始めて、ハッと気づきました。もしかして、デレーケ!?「デレーケ」とは、ヨハネス・デレーケという人の名前だったのです!

「J.de Rijke」と書かれています
「J.de Rijke」と書かれています

さて、ヨハネス・デレーケさんとは、いったいどんな人なのでしょう?そこで探偵は、京都府山城広域振興局建設部 山城南土木事務所の岡井さんに、お話を聞いてみました。明治時代、関西の山々は長年の乱伐の影響で地肌がむき出しになり、雨が降るたびに表土が川に流れ込んでいました。その土砂が大阪港にたまって水深が浅くなり、その結果大型船が入れなくなっていたのです。大阪港の港湾整備と河川改修のために、明治政府は当時の治水先進国オランダに助けを求めました。1873年、デレーケさんはオランダ人工師団の一員として来日しました。

デレーケさん(左)と、同じく来日した工師のエッセルさん(右) 国土交通省 淀川資料館 提供
デレーケさん(左)と、同じく来日した工師のエッセルさん(右)
国土交通省 淀川資料館 提供

大阪港や淀川の改修などを任されたデレーケさんは、まず淀川や木津川の調査を行いました。木津川の上流にあたるこの不動川まで調査にやってきたデレーケさんは、崩れたはげ山から流出している土砂の量にびっくり。ただちに山からの土砂流出を食い止めるための砂防が必要だと、政府に意見書を提出し、それが認められます。その後、日本で初めてヨーロッパ式の近代砂防技術を取り入れた堰堤づくりに着手したのが、デレーケ堰堤のあるこの場所だったのです。


デレーケさんは、はげ山にわらを差し込んだり植林などをして、土砂留めを行いつつ堰堤づくりを進めます。西洋の技術に日本古来の工法も取り入れながら、不動川で様々な種類の試験的な砂防工事を行いました。現在も数基の堰堤が補修整備されて公園内に残っています。

さまざまな形のデレーケ堰堤
さまざまな形のデレーケ堰堤
さまざまな形のデレーケ堰堤

地元の中学生向け副読本『よみがえったふるさとの山々 蘭人工師デレーケと山城町』によると、デレーケさんは外国人にしては小柄な人だったそうですが、朝早くから夜遅くまで野山を駆け回り、ときには崖や岩山をも渡り歩き工事の指揮を執る、精力的な働きぶりだったとか。努力の甲斐あって土砂は食い止められ、山には緑が戻り、大阪港は大型船が入港できる大きな港に改修されました。ちなみに以前、探偵たちが調査に行った大阪の天保山も、実は淀川に流れ込んだ土砂を利用してつくられたものなんだそう。

やがて仲間たちは任を終え、つぎつぎと本国に帰っていきましたが、デレーケさんだけは日本に残り、全国の河川などの改修に奔走し続けました。北は群馬県から南は長崎県まで、デレーケさんが関わった堰堤などが今も残っていて、デレーケさんの銅像の裏側には、関わった砂防事業が一覧になって書かれていました。

  • 群馬県
  • 吉岡町 滝ノ沢堰堤
    榛東村 栗ノ木沢堰堤
    高崎市(旧:箕郷町) 唐沢堰堤
  • 長野県
  • 南木曾町 大崖砂防堰堤
  • 富山県
  • 富山市(旧:大山町) 常願寺川上流視察
  • 岐阜県
  • 海津市(旧:南濃町) 羽根谷巨石積堰堤
    養老町 巨石堰堤
    中津川市(旧:加子母村) 石積堰堤
    岐阜市 巨石積床固工群
  • 愛知県
  • 瀬戸市 庄内川水系堰堤
    春日井市 庄内川水系堰堤
  • 三重県
  • 菰野町 猫谷堰堤
  • 滋賀県
  • 大津市 鎧堰堤
  • 京都府
  • 木津川市(旧:山城町) 淀川水系堰堤
  • 徳島県
  • 美馬市(旧:脇町) 大谷川堰堤
  • 長崎県
  • 長崎市 中島川堰堤、溜池工事

「デ・レイケの係わった砂防事業は、現在も次の所に残っている(2000年12月)」 ※銅像の裏側の記載より。原文ママ

デレーケさんが日本滞在を終えたのは、来日からなんと30年も経ってからのこと。日本政府はその功績をたたえ、勲二等瑞宝章などの勲章を3度も贈りました。


最初は謎の言葉だと思っていた「デレーケ」ですが、日本の土木事業、特に河川改修や砂防における功績を讃えられ、「砂防の父」とも称されるほど偉大な人物の名前だったことがわかりました。今ではキャンプなどが楽しめる場所として知られている不動川砂防歴史公園ですが、そこにある堰堤が100年以上も前にオランダ人の工師によってつくられたもので、しかも現役で堰堤としての役割を果たしていることを知り、探偵はもっとたくさんの人にこの事実を広めたいと思いました。ちょうど今のシーズンは紅葉がきれいなので、みなさんも紅葉狩りとともに、探検気分でデレーケ堰堤を探しに行ってみてはいかがでしょうか?

調査完了
今回取材したところはこちら
不動川砂防歴史公園(京都府観光連盟公式サイトへ) 
(取材協力)京都府山城広域振興局建設部 山城南土木事務所
(取材協力)国土交通省 淀川資料館  
  • 炎の探偵社では「関西にまつわる疑問や気になること」を募集しています。
    あなたのギモンをお聞かせください。
    投稿の中からセレクトして「炎の探偵社」が調査します!
  • ログインして調査を依頼

※当サイトのコンテンツの二次利用はご遠慮ください。