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マイケル・ファラデーは、ロンドンの貧しい鍛冶屋の家庭に生まれました。13歳になると新聞配達夫兼製本職人として早くも働きはじめます。その仕事ぶりが真面目で有能だったことから、雇い主はファラデーを信頼して職場で製本された書籍を自由に閲覧することを許しました。読み書きこそできるものの、小学校を中退していたファラデーは、この時期に多くの書物に触れることでみるみるうちに知識を吸収。とりわけ科学の分野に心をひかれるようになりました。ある日ファラデーは書店の客の一人から、イギリス王立研究所の科学者であるハンフリー・デービーの特別講演会を聴講できるチケットをもらい受けます。当時最も有名な科学者のデービーから、最先端の科学の話を聞く絶好のチャンスでした。ファラデーは一言一句も漏らすまいとメモを取りつつ、自分の進むべき道をデービーに重ね合わせます。その後、ファラデーは自分の熱意を伝えるべく自作の講演レポートや手紙を、デービー本人に何度も送ります。ファラデーが22歳のときにその熱意が伝わり、王立研究所でデービーの雑用係として採用されました。これを足がかりに、科学の世界へ飛び込んでいったのでした。
ある日、ファラデーはハンス・クリスティアン・エルステッドが発表した、導線に電流が流れると磁気が発生し、近くに置いた方位磁石が振れるという「電流の磁気作用」についての論文を読み、「電気と磁気の関係」を知りました。それをきっかけに、さまざまな研究をはじめます。そして、電気と磁気によって動力が得られるのではないかと考えたファラデーは、それを証明するために1821年に「電磁回転装置」をつくり上げました。それは、電流によって生じた磁場(磁気の力が作用する範囲のこと)と磁石の磁場が反発することで針金と磁石がくるくる回るというもの。これによって、電気エネルギー(電力)を機械エネルギー(動力)に変換できる「世界ではじめての電動機」をつくりました。
その後ファラデーは、電気を流すことで磁気を発生させられるのなら、逆に磁気を発生させることで電気を生むことができるのではないかと考えて、1831年にある法則を見つけます。それが「ファラデーの電磁誘導の法則」。この法則を導くにあたって、まず鉄の輪にコイルを巻きつけたものを用意し、鉄の輪に磁気を発生させることで、コイルに電気が流れることを確認。磁気から電気を発生させることができるという大発見となりました。しかし、この実験では瞬間的に電気はつくれても、継続的に電気をつくるのはまだ難しいものがありました。継続的に電気をつくるため、ファラデーの研究は続きます。試行錯誤の末、U字型磁石のN極とS極の間で円盤を回転させる装置をつくりました。円盤に磁気の影響を継続的に加えることで、電流が流れることがわかり、実験は成功。この装置は動力から電力を生み出し、継続的に電気を供給できる「発電機」の原形が誕生した瞬間でもありました。
ファラデーはほかにも、「電気分解の法則」やベンゼンの発見、光が磁場によって偏光されることを実験で証明するなど、電磁気学や物理学の分野で大いに貢献しました。同時に、その過程で得られた知識や成果、科学の可能性などを一般の市民や子どもたちに伝えることにも力を入れていました。毎週金曜の夜に自身の研究室を開放して講義やディスカッションを行う「金曜講話」や、子どもたちが科学に触れる機会をつくる「クリスマス・レクチャー」がそうです。このクリスマス・レクチャーで取り上げられた、ロウソクが燃える現象についての講義(ロウソクの科学)は、書籍としてまとめられ今でも多くの人に愛読されています。1867年、75歳でファラデーは息を引き取りましたが、一般市民向けに科学の楽しさを伝え続けた人徳がいまだに慕われて、現在でも多くの人がファラデーの眠る地に足を運んでいます。
参考書籍:大月書店 マイケル・ファラデー―科学をすべての人に(オックスフォード科学の肖像)(編集代表:オーウェン・ギンガリッチ 著:コリン・A・ラッセル 訳:須田康子) 教文館 電気事始め―マイケル・ファラデーの生涯(著:J・ハミルトン 訳:佐波正一)