マイ大阪ガスは、2021年3月にポイント制度などのリニューアルを行いました。この記事はリニューアル前のもののため、ポイント関連の記述を含め、記述内容が古い場合がございます。あらかじめご了承ください。
産業革命時代の機械技術者であるウィリアム・マードックは、1754年にスコットランドに生まれました。幼いころから数学の成績が優秀でしたが、学業だけでなく水車大工をしていた父を手伝うことで、金属や木材を加工する技術も身につけました。23歳のころには、同じスコットランド生まれであるジェームズ・ワットがイギリス人のマシュー・ボールトンと立ち上げた、当時の若者たちに絶大な人気のあった蒸気機関製造会社「ボールトン・ワット商会」への就職を夢見ます。しかしいざ面接を受けに行こうにも、会社があるのは300マイル(約480km)も先の街。旅費を工面できないマードックでしたが、それでもあきらめることなく、ほとんど徒歩で行くという荒技に打って出て、人気企業への就職という夢を叶えたのでした。
持ち前の聡明さと機械技術の高さが認められ、製造部門の責任者へと短期間でステップアップしていくマードック。蒸気の圧力で得た上下運動を回転運動に変える「太陽・惑星型はずみ車」を開発するなど、仕事場でも充実した日々を過ごす中、自宅で友人の医師ポアズとともにある実験に熱中します。それは、石炭を加熱することで得られるガスを、照明として利用するというもの。ある日、マードックは石炭を詰めたやかんの口とパイプをつなぎ、さらにパイプの反対側の先には小さな穴をあけた指ぬき(針のあたりやすべりを抑えるために中指につけて使うキャップ状のもの)を取りつけました。そしてそのやかんを火にかけ、熱した石炭からガスを発生させます。パイプを通って出てくるガスに火をつけると、まるでランプのように部屋の中を明るく照らしました。こうしてマードックは石炭から発生したガスに火をつけることで、それまでのオイルランプやロウソクよりも周囲を明るくできることを発見。ガス灯の原型を生み出すことに成功したのです。
実験の成果を喜んだマードックは、さっそく自分の家の裏庭に石炭からガスを取り出す施設を建設。その施設からパイプを通してガスを家の中に取り込み、照明として使いました。その後、上司であるワットを説得してガス製造装置の販売にこぎつけたり、論文を書いて王立協会から表彰されたりと、ガス灯の普及に懸命に取り組みます。そして、ついに1812年にはイギリスで最初のガス会社「ロンドン・アンド・ウエストミンスター・ガスライト・アンド・コークス社」が設立され、ガスの供給が開始されました。
ところで日本ではじめてガス灯が灯ったのは1871年、大阪造幣局でのこと。さらに翌年には横浜にガス灯が設置されて、多くの日本人に衝撃を与えました。今でもガス灯は全国各地で炎を灯しており、そのぬくもりのある独特な灯りは多くの人々に愛され続けています。
※現在大阪ガスがお客さまにお届けしているガスは、石炭ガスではなく都市ガス13A(天然ガス)です。
参考書籍:エピソード科学史 1 化学編 A.サトクリッフ A.P.D.サトクリッフ(現代教養文庫)、Newton 2000年6月号