京都にジェットエンジンが置いてある神社があるようですが、本当ですか?なぜ置いてあるのかも知りたいです。
神社とジェットエンジンって、なかなか結びつかないですよね。調べてみると、京都の八幡市にある「飛行神社」には、本当にジェットエンジンが置いてあるようです。航空業界では有名な神社のようですが、一般人はネーミングのインパクトに驚きますよね。最近できた神社なんでしょうか?興味津々の探偵たちは、調査に向かいました。
京阪電車の八幡市駅を降りて閑静な住宅地を5分ほど歩くと到着。門を入ってすぐ左手にさっそくジェットエンジンが!堂々たる存在感を放っています。
全長5mはあろうかという大きさに度肝を抜かれていたところ、「こちらはマッハ超えの戦闘機として名を馳せた『F-104J』のエンジンになります」と宮司の友田さんが教えてくれました。
境内には、他にも1983年に大阪・岸和田で底引き網に引っかかり引き上げられた零式艦戦闘機(通称ゼロ戦)の機首部や、民間航空機のプロペラが展示されていました。周りに茂った緑とのコントラストで不思議な世界観を醸し出しています。
この神社のおみくじは、空を思わせる水色の紙飛行機ならぬ「神」飛行機おみくじ。結果に関わらず、引いたおみくじは紙飛行機形に折って、奥の奉納鳥居を目がけ満願成就を願いながらテイクオフ~♪
授与所には飛行機のイラストが描かれている絵馬や、タグ型でスーツケースにぴったりのデザインのお守りなど、どれも飛行機にちなんだものばかり。ちなみに、テレビドラマ「空飛ぶ広報室」で、重要な役割を果たしたお守りもこちらのもの。その後、台湾でもこのドラマが放映されたことをきっかけに、連日多くの台湾人観光客が訪れているそう。
本殿は洋風になっていますが、これは海外からお参りに来た人もお参りしやすいようにと、あえて洋風にしているんだそうです。
この神社は二宮忠八という人が1915年に私財を投じて創建したもの。二宮忠八さんはどんな方かとお聞きしてみたところ、なんと日本で初めてプロペラ飛行実験を成功させ、世界で初めて空を飛んだライト兄弟より10年以上も前に飛行原理を発見していたという、すごい人でした!知らなかった……。
忠八さんは江戸末期の1866年、愛媛県八幡浜市の生まれ。13歳で、伯父が営む薬屋に丁稚奉公に出ることになりました。この薬屋の商品を宣伝するために考えたのが、ビラまき用の凧。そのできばえがよくて、ビラまき凧に買い手がつくほど、若いころから発明の才能を開花させていたのだそうです。実際に本殿奥の資料館には、その当時忠八さんが書いた凧の絵があります。
それ以来、空を飛ぶものに興味をもった忠八さんは、1889年にカラスが翼を広げて滑空する姿を見て、飛行原理を発見。その2年後に、日本で最初の動力飛行機となるゴム動力の「カラス型飛行器」の飛行を実現させます。当時はまだ、飛行機という言葉がなかったため、忠八さんは飛行する器械という意味を込めて、「飛行器」と命名しました。
次は人が乗るための飛行器をつくりたいと研究に没頭。羽を折りたたまずに空を飛ぶ玉虫の羽とトビウオのヒレをヒントに完成させたのが、「玉虫型飛行器」の図面でした。
図面は完成したものの、資金がなかった忠八さん。動力エンジンを購入するために「完成すれば軍用として役立つ」と何度も軍隊に上申しましたが、すべて却下。それなら自分で資金を調達しようと、薬屋で学んだ知識を生かして製薬会社で新薬の開発に取り組みます。薬が売れて資金もできた忠八さんは、飛行器を飛ばすのに理想的な河原がある八幡市に移住。動力源以外は完成していた飛行器に、精米機のエンジンを改造して、飛行器に搭載したらテスト飛行をするという構想を立てていました。
ところが、1899年にライト兄弟が有人飛行に成功したというニュースが伝えられます。先を越されたことに大きなショックを受けた忠八さんは、飛行器づくりをやめてしまいました。
その後、忠八さんはどうしたのでしょうか。「飛行機が現実に世界中の空を飛び交うようになりましたが、その反面、実験や事故による犠牲者の多さを知り嘆いていました。そこで、残りの人生を航空界の安全と航空殉難者の慰霊に注ぐことを決意したのです」と語る友田さん。そして、忠八さんは私財をなげうって、1915年に飛行神社を創建しました。
今では、航空・宇宙・衛星に関わる名だたる企業や、自衛隊、ヘリコプターを所有するマスコミ関係、ドローン関連会社が航空安全・交通安全祈願に訪れています。
最近はパイロットやCAを目指す就活生や受験生が、目的地に迷わずたどり着くようにと合格祈願のお参りにくるそう。皆さんも、飛行機のようにグーンと運気上昇を願って訪れてみてはいかがでしょうか?