神社から「ヤッホー」が聞こえる!?
古くから続く踊りを調査
2023/08/01

孫が、「神社に行ったとき、何度もヤッホーという声が聞こえたよ」といっていました。よくよく聞くと、初詣で住吉大社に行ったときに聞いたとのこと。神社でなぜ「ヤッホー」なのか疑問です。何がおこなわれていたのでしょうか?探偵さん調べてください!
依頼者さんによると、お孫さんが訪れたのは、約1800年前に鎮座(※)した、大阪市にある住吉大社とのこと。歴史ある神社と「ヤッホー」というかけ声は、なんとも意外な組み合わせです。お孫さんはいったい何を聞いたのでしょうか?
調べてみると、神事で奉納される「住吉踊(すみよしおどり)」という舞があり、かけ声を上げながら踊るそうです。もしかしたら、これのことかも!目星をつけた探偵たちは、住吉踊が披露されるお祭り「御田植神事(おたうえしんじ)」に行くことにしました。
※神道において、特定の土地に神を祀ること。

南海本線「住吉大社駅」から徒歩3分、住吉大社にやってきました!住吉大社には、神様にお供えする「御田」という大きな田んぼがあります。御田植神事は、毎年6月、この御田を舞台に穀物の豊作を祈願しておこなわれる祭典で、今回調査する「住吉踊」も披露されます。
全国的にも有名なお祭りで、探偵たちが到着したときには、ひと目見ようと訪れた人でいっぱいでした。
御田では神事の田植えが盛大におこなわれ、その中にある舞台では、五穀豊穣を祈願した舞や、害虫よけのおまじないの棒打合戦など、神事のための伝統芸能が奉納されています。華やかな儀式に思わず見入る探偵たち。伝統芸能を披露する人々の衣装も身のこなしもとっても風流です。

次の儀式は何かとワクワクしていると、「住吉踊でございます」というアナウンスが。これだ!と思って身を乗り出すと、赤い笠をかぶり、白い衣装を身にまとった子どもたちが次々と登場しました。その数およそ100名と大所帯!大きな御田の周囲にぐるりと並び、圧巻の光景です。
舞台の真ん中で、大きな傘をさした人が歌いはじめました。子どもたちは、その歌に合わせてピョンピョンと飛び跳ねながら鈴のついたうちわを打ち鳴らし、両手を羽のように大きく動かして、手を頭上に上げたり背中の方にまわしたりしています。
しばらく踊りを見ていると、「ヤッホー」という軽やかな声が聞こえました!もう一度耳を傾けてみると、確かに時折「ヤッホー」と聞こえてきます。依頼者さんのお孫さんが聞いた声は、これだったんですね!

探偵たちも声に合わせて「ヤッホー」と口ずさんでいると、「あれは『ヤッホー』ではありませんよ」と、声をかけられました。「耳を澄ましてみてください、『イヤホエ』と聞こえませんか?」そう教えてくれたのは、神職の星野さんです。
「イヤホエ」というのははじめて聞く言葉です!どんな意味があるのですか?と尋ねると、「興味がおありなのですね。もうすぐ御田植神事が終わるので、よければ場所を変えてゆっくりお話ししましょう」と、星野さんは社務所に案内してくれました。

住吉踊をはじめて見たのですが、たくさんの子どもたちが踊っていて驚きました!「住吉踊は一年を通してさまざまな行事で見ることができますが、大勢が一斉に踊るのは年に一度の御田植神事だけなんです」。なんと一年に一度のチャンス!探偵たち、とてもよいタイミングで来ることができたようです。
「住吉踊には、かけ声はもちろん、衣装や動きにも大切な意味が込められているんですよ」。
とても興味があります!ぜひ詳しく教えてください!
「住吉踊の衣装は、かつてお坊さんが踊っていたことから、僧服がもとになっています。手に持っていたうちわには、鈴と五色(赤・白・紫・黄・黒)の絹布がついていて、鈴は『清らかさ』、絹布はこの世に存在するすべてのもの、という意味の『森羅万象』を色であらわしています」。
赤い笠もかぶっていましたが、笠にも何か意味があるのですか?
「笠は住吉大社の神様が関係しています。住吉踊には頭にかぶる笠と手に持ってさす傘、2つのカサが登場しますが、どちらも意味は同じ。カサの下に入ることは、神様が守ってくれる場所に入るということなんです」。

「子どもたちは手を羽のように動かしていたでしょう?あれは『心』という字を書く動きをしています。心とは人の本質。つまり住吉踊とは、神様に守られながら心を開き、祈りを捧げる踊りなのです。また、踊り手は『イヤホエ』とかけ声を上げながら踊るのですが、これは神道で平和と豊作を祈る言葉『陰陽穂栄(いんようほえい)』がなまったものなんですよ」。あの動きやかけ声には、そんな意味が込められていたのですね。
星野さんは続いて、「住吉踊の由来は2000年以上前までさかのぼります」と歴史について教えてくれました。
「住吉大社に祀られている神様のひとり、神功皇后(じんぐうこうごう)が、現在の韓国にあたる地域への遠征から無事帰還されたことを祝って、漁民や農民が踊った舞に由来するのが住吉踊なんです」。そんなに昔までさかのぼるんですね!
「そのときの舞が地域の人々によって踊り継がれていき、住吉踊として定着したのは平安時代といわれています。住吉大社にかつて存在したお寺『住吉神宮寺』のお坊さんたちが『天下泰平・五穀豊穣』の祈りとして踊るようになり、全国を巡回したことで、今も各地の神社で踊りが継承されています」。

しかしこの住吉踊、明治時代には一度途絶えてしまったのだとか。明治維新のとき、政府により神仏分離が進められたことで住吉神宮寺がなくなり、住吉踊も住吉大社から姿を消してしまったそうです。
「奉納の舞としては姿を消した住吉踊ですが、地域住民の方々の間では、お祝いや祈念には欠かせない舞として踊り継がれていました。そして、詳細は不明ですが、住民の方々の働きかけによって、踊りが途絶えてから約50年後の大正初期に神事として復活したのです」と星野さん。
復活後はさまざまな変遷を経て、今では童女(どうじょ)と呼ばれる、幼児から高校生までの地域の女の子約150名が、踊り手として伝統を支えています。

時代の流れにより一度は断絶してしまった住吉踊ですが、時を経て復活するとは、それだけ大切な文化だったのですね。現在は三が日や御田植神事のほか、住吉区や堺市を巡行する住吉祭、芸能祭などで踊られているそうです。今も、住吉踊と地域の人々の心はしっかり結びついているんですね。星野さんは「伝統をつなぐのは人の思いです。再びつながった住吉踊を、これからも大切に受け継いでいきたいと思います」と力強く話してくださいました。
軽やかなかけ声や動きが印象的な住吉踊は、見ているだけで心が和みます。皆さんもぜひ、住吉大社に足を運んで、人々の思いが詰まった「住吉踊」を堪能してくださいね。

