由来は鎌倉時代にあり!?
滋賀県多賀町名物「糸切餅」の
新たな取り組みとは
2022/01/11

滋賀県多賀町に「糸切餅」という名物のお菓子があると聞きました。どんなお菓子なんですか?探偵さん、調査をお願いします。
調べてみると、近江鉄道の最寄り駅から多賀大社へ続く参道沿いで、古くから「糸切餅」というお菓子が販売されているとのこと。多賀大社は、滋賀県第一の大社で、地元の人々に「お多賀さん(おたがさん)」の名前で親しまれています。延命長寿・縁結び・厄除けの神さまを祀っており、お正月には、多くの人が初詣に訪れるそう。お話を聞くため明治12年創業の「糸切餅 元祖莚寿堂(えんじゅどう)本舗」へ向かうことにしました。

お店の前で「いらっしゃい!」と元気いっぱいに迎えてくれたのは5代目女将の山根さんです。さっそく、糸切餅ってどんなお菓子なんですか?と探偵たちが聞いてみると、「まずは食べてみて」と山根さんが糸切餅を出してくれました。

白いお餅に水色、ピンク、水色の三本線が描かれていて、かわいいですね!さっそくいただくと、米粉でできているという生地はやわらかくもちもちとして、中には甘さ控えめなこしあんが入っています。生地とあんが相性抜群でとってもおいしい!

ところで、なぜ糸切餅という名前なのでしょうか?山根さんによると、「実は、糸切餅の名前の由来は、鎌倉時代の『蒙古(もうこ)襲来』が発端なんですよ」。当時、二度にわたってモンゴル軍(蒙古軍)が船に乗って日本に攻めてきたとき、日本の武士たちは九州で迎え撃ちましたが、苦戦します。しかし、モンゴル軍は二度とも猛烈な嵐によって船を沈められたため、日本から撤退。こうして取り戻した平和を祝福し、モンゴル軍の旗印を模した青と赤の線を描いた餅を作り、それを弓のつるで切ってお供えしたのがはじまりだそうです。「刃物を使わず弓のつるで餅を切るのは、悪霊を断ち切るという意味があり、平和をあらわしているんです」と教えてくれました。そんな歴史的な由来があるなんてびっくり!

山根さんから糸切餅の歴史を教えてもらった探偵たちがお店の中を見まわすと、糸切餅によく似たビスケットや飴を発見しました。山根さんは、「お店で受け継いできた糸切餅も大切ですが、新しい商品を作って、もっと幅広い年代のお客さんたちに糸切餅のことを知ってほしいと思っているんです。ほかにも、多賀町の飲食店とコラボレーションして糸切餅を使ったメニューを開発しています」と答えてくれました。糸切餅を使ったメニューとはどんなものなんでしょうか?

例えば、「糸切餅の天ぷら」があります。最初は、糸切餅を余ったときだけ天ぷらにして、サービスとして無料で配っていたそうです。その後、あまりに評判がよかったため商品として販売すると、大ヒットしました。「うれしいことに、すごい行列ができてしまったんです。私たちのお店では大きなフライヤーを用意することは難しいですし……。うちだけでは作れないので、隣のコロッケ屋さんにレシピを丸ごと渡すことにしました」と山根さんは話してくれました。

さらに、山根さんは地元の飲食店にも糸切餅を使ったメニュー作りを依頼して、新メニューを次々と生み出しています。カレー専門店の「ひまわり亭」では、チーズと糸切餅の甘いあんがクセになる甘じょっぱい「糸切餅チーズ春巻き」がメニューに登場。お客さんからは、「あの糸切餅にこんな食べ方があるなんて」「新食感!めっちゃおいしい」などの声が多くあがっているそうです。

いろんな商品を出しているんだなぁ~と探偵たちが感心していると、山根さんは「伝統的な糸切餅の形を変えてしまうことで、いろんな方からお叱りを受けることもあったんですよ。でも、糸切餅の知名度はまだまだ低く、状況を変えるためには新しい取り組みをおこなうことが大切だと考えています。まずは滋賀県多賀町の名物『糸切餅』をもっと多くの人に知ってもらうため、地元のお店とのコラボレーションなどいろんなことを一緒にやっていこうと考えました」。

毎年、日本全国の観光地を見てまわりいろんな発想を得て、試行錯誤を重ねながら新商品を開発している山根さん。ほかにも、新たな糸切餅の可能性を探るべく、多賀町のお店とコラボレーションを続けています。最後に山根さんは、「多賀町のどこに行っても糸切餅が出てきたらおもしろいでしょー!多賀町全体で糸切餅をもっと盛り上げていきたいですね」と目を輝かせながら語ってくれました。今後も、どのような盛り上がりを見せてくれるのかますます期待が高まります!皆さんも多賀大社を訪れる際は、いろいろな糸切餅をぜひ食べてみてくださいね。

