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一寸法師は大阪生まれって本当?
発祥の地・住吉大社に潜入

2021/01/05
依頼内容

昔話に出てくるあの有名な一寸法師は大阪生まれだと聞きました。探偵さん、調査をお願いします。

古くから親しまれている昔話「一寸法師」。子どもの頃に絵本で読んだことがある方も多いのではないでしょうか。そんな一寸法師が、実は大阪生まれとのこと!気になった探偵たちが調べてみると、大阪市住吉区にある「住吉大社」が一寸法師と深い関係があると分かり、調査に向かうことにしました。

住吉大社は、神功皇后(じんぐうこうごう)によって創祀されたと言われる、1800年以上の歴史を誇る住吉神社の総本社です。家内安全や商売繁昌などさまざまなご利益が得られるとされ、多くの人々が参拝に訪れています。

地元では親しみを込めて「すみよっさん」と呼ばれている住吉大社
地元では親しみを込めて「すみよっさん」と呼ばれている住吉大社

住吉大社に到着した探偵たちは、鳥居をくぐり、住吉大社のシンボルとされる「反橋(そりはし)」を渡りました。一寸法師に関係のあるものがどこかにないかと探しながら境内を進みます。

「太鼓橋」とも呼ばれる反橋。最大傾斜は約48度もあるのだとか!
「太鼓橋」とも呼ばれる反橋。最大傾斜は約48度もあるのだとか!

きょろきょろと辺りを見回す探偵たちを迎えてくれたのは、神職の武田さんです。「境内には住吉大神(すみよしのおおかみ)さまをお祀りする本宮や、神功皇后を祀る社など、全部で27社があります。さっそく、一寸法師と深い関係がある『種貸社(たねかししゃ)』に行ってみましょう」と話す武田さんに、探偵たちはついて行くことにしました。

住吉大社の神職・武田さん
住吉大社の神職・武田さん

ところで、皆さんは一寸法師の物語がどのような内容か覚えていますか?ここで、あらすじを振り返ってみましょう。

『むかしむかし あるところに おじいさんとおばあさんが住んでいました。二人には子どもがいなかったので、おじいさんとおばあさんは神さまにお願いしました。「神さま、親指くらいの小さい小さい子どもでもけっこうです。どうぞ、わたしたちに子どもをさずけてください」。すると 本当に小さな子どもが生まれたのです。ちょうど おじいさんの親指くらいの男の子です。二人はさっそく、一寸法師という名前をつけてやりました……』

おじいさんとおばあさんに大切に育てられた一寸法師は、やがて「侍になる」という志を立て、腰には針の刀を差し、お椀の船で京の都へ上ります。そこで出会った姫を助けようと鬼に立ち向かった一寸法師は、一度は食べられてしまうものの、鬼の腹の中を針の刀でつついて鬼を退治。鬼が落としていった打出の小槌を振って体が大きくなった一寸法師は、姫と結婚して幸せに暮らした、という物語です。

お椀に乗り、お箸をオール代わりにして川を渡る一寸法師(絵:清水耕蔵、発行:登龍館)
お椀に乗り、お箸をオール代わりにして川を渡る一寸法師(絵:清水耕蔵、発行:登龍館)

しかし、これだけの内容では、一寸法師と住吉大社との関係は全く分かりません。そんな疑問を武田さんに伝えると、「実は、『御伽草子』に書かれている一寸法師のくだりには、住吉大社に関する記述があるんです」とその一節を紹介してくれました。

「御伽草子」とは、室町時代後期から江戸時代初期に作られた物語をまとめた挿絵入りの短編集。他にも「浦島太郎」など、今に伝わる昔話の数々が収録されています。それによると、一寸法師の舞台は津の国、つまり摂津国のことで、現在の大阪にあたります。津の国の難波(なにわ)に住んでいたおじいさんとおばあさんが子どもを授かるために祈願したのが、ここ住吉大社で、成長した一寸法師が京に向かって船出した場所も、住吉大社近くの「住吉の浦」だったそうです。このような記述から、一寸法師が大阪生まれということは間違いなさそう。

住吉高灯籠。昔は灯台の役割を果たしており、住吉大社のすぐそばに海があったことが分かります
住吉高灯籠。昔は灯台の役割を果たしており、住吉大社のすぐそばに海があったことが分かります

さて、武田さんの案内でやってきた「種貸社」には、鳥居のすぐ手前に手水舎(ちょうずや)がありました。そこで探偵たちは、お椀に乗った小さな一寸法師を発見!小さくも凛々しい姿で京の都を目指す一寸法師の姿が思い浮かびますね。さらに、本殿の右隣には、大人が3~4人ぐらいは入れそうな大きなお椀が設置されていました。このお椀は、実際に入ることもでき、人気のフォトスポットになっているそうです。

写真左:手水舎にはお椀に乗った一寸法師が!写真右:大きなお椀の船と、「一寸法師発祥の地」と書かれた顔出しパネルを発見
写真左:手水舎にはお椀に乗った一寸法師が!写真右:大きなお椀の船と、「一寸法師発祥の地」と書かれた顔出しパネルを発見

武田さんによると、「この大きなお椀は、2002年に道頓堀で開催された『一寸法師レース』に使われたものです」とのこと。このレースは、道頓堀を盛り上げるために地元の商店街の方が企画したイベントで、各商店街の店主の方など、2人1組で計6チームが参加したそうです。レース本番では、各チームがそれぞれお椀の船に乗り込み、オールを漕いでゴールを目指しました。橋の上からは観光客などたくさんの人々が参加者を応援し、大いに盛り上がったのだとか。レースで使用されたお椀は、その後住吉大社に寄贈され、今ではすっかり同社の名物となって参詣者に親しまれています。

2002年に行われた「一寸法師レース」では、実際に道頓堀川をどんぶらこと渡りました(提供:伴ピーアール)
2002年に行われた「一寸法師レース」では、実際に道頓堀川をどんぶらこと渡りました(提供:伴ピーアール)

ここで、武田さんはポロリと一言つぶやきました。「残念ながら、一寸法師が大阪生まれであることはあまり広く知られていません」。なので、住吉大社では種貸社に一寸法師発祥の地と書かれた看板を設置したり、地域学習や職場体験などでここを訪れる地元の小・中学生に、一寸法師と住吉大社との繋がりを説明しているそうです。すると「一寸法師は何度も読んだことがあるけど、大阪生まれやったんや!」「ここでお参りして生まれたん?知らんかった!」と、みんな驚くのだとか。

一寸法師と住吉大社の関わりを語る武田さん
一寸法師と住吉大社の関わりを語る武田さん

最後に、武田さんはこのように語ってくれました。「有名な一寸法師がここ住吉の地で生まれたというのは、私たちや地元の方々にとっても誇らしいことですね。実は、住吉大社には、一寸法師の他にも『浦島太郎は住吉に住んでいた』『金太郎が住吉大社にお参りをしていた』といった話もあるんです。いろんな物語と地元との繋がりについて、皆さんに知ってもらいたいですね」。浦島太郎に金太郎まで……住吉にゆかりのある物語の主人公がこんなにいるなんて、探偵たちも全然知らなくてびっくり!今回のお話を聞いて、いろんな昔話の場面を思い浮かべながら、この街を散歩してみたくなりました。皆さんもぜひ、住吉大社に足を運んでみてください。

マイマイ姉妹も、お椀に入って一寸法師の気分♪
マイマイ姉妹も、お椀に入って一寸法師の気分♪
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