マイ大阪ガスは、2021年3月にポイント制度などのリニューアルを行いました。この記事はリニューアル前のもののため、ポイント関連の記述を含め、記述内容が古い場合がございます。あらかじめご了承ください。

炎の探偵社

ログインして調査を依頼

調査FILE

8

2

知る人ぞ知る大阪名物
「魚すき」とは?

2019/02/18
依頼内容

魚すきという鍋料理があるようですが、どのような鍋なのでしょうか。探偵さん、調べてきてください!

水炊き・カニすき・ブリしゃぶなど、日本人が愛して止まない鍋料理。そのなかには、「魚すき」という鍋もあるようですが、探偵たちは魚すきって聞いたことがありません。謎の鍋料理・魚すきのことが気になったので、大阪市内にある魚すき店『丸萬本家』へと向かい、調査することにしました。大阪・帝塚山の静かな住宅街、とある住宅の入口にひょうたんが描かれた看板を発見。

写真左:お店に到着、写真右:ひょうたんの描かれた看板が目印
写真左:お店に到着、写真右:ひょうたんの描かれた看板が目印

お店に迎え入れてくれたのは、9代目・現店主である後藤英之さん。英之さんのお父さんに当たる8代目の隆平さんと店を営んでいます。店内は畳にテーブルと椅子がセッティングされた空間が広がりあたたかなムードが漂って、まるでお友達や親せきの家を訪れたような気持ちに。

8代目の後藤隆平さん(左)と9代目の英之さん(右)
8代目の後藤隆平さん(左)と9代目の英之さん(右)

さっそく魚すきについて教えてくださいとお願いすると、英之さんは「せっかくなので、食べてみませんか」と、季節の鮮魚を5種(この日は鰆、鯛、海老、穴子、ブリ)、運んできてくれました。「醤油をベースとした甘辛い秘伝のタレで魚を漬け込んでいます。魚のエキスが染み出したこのタレで、少量ずつ煮ていくんですよ」とのこと。

自家製のタレをひたひたになるまで入れて、魚を漬けます
自家製のタレをひたひたになるまで入れて、魚を漬けます

まずはタレを少しずつ鍋に入れてから、さらに手際よく魚と生麩、春菊やシイタケ、糸こんにゃくと焼き豆腐を入れていきます。ぐつぐつと音を立て、食欲をくすぐる醤油の香りが漂います。うーん、いい香り!

具材を押さえてタレを鉄鍋へ
具材を押さえてタレを鉄鍋へ

ほどよく火が通ったところで、いただきます!秘伝のタレが染み込んだ魚は、煮炊きすることでうまみが倍増!さらに、鰆や鯛はフワフワ、海老はプリプリといった異なる食感が楽しめるので飽きさせません。ピリリと山椒の風味も心地いいアクセントに。少し煮立ったところに一種類ずつ魚を入れて、火が通った熱々なところをすかさず生卵をつけて食べます。身が固くなる前が最もおいしい瞬間なので、これを逃さないのがポイントなのだとか。見た目が濃い色だから味も濃いのかと思いきや、後味はさっぱりとして上品な味わいです。

ちょうど食べごろです!
ちょうど食べごろです!

お腹がいっぱいになったところで、いよいよ〆に入ります。鍋の〆と言えば、麺類や雑炊が欠かせませんが、ここでは鍋に残ったタレに溶き卵を入れて卵とじにしたものを、熱々のご飯にのせて食べます。フワフワ感と優しい味わいに満足感もひとしおです!

魚のうまみがたっぷり染みたタレに卵を投入した卵どんぶり
魚のうまみがたっぷり染みたタレに卵を投入した卵どんぶり

〆のどんぶりまで堪能させてもらったところで、魚すきの歴史を聞いてみました。丸萬本家は、能登からやってきた初代店主が江戸末期の元治(げんじ)元年(1864年)に、ミナミで創業したそうです。最初は魚の煮つけのような料理を提供していたようですが、次第に鍋で煮炊きする現在のようなスタイルになり、「魚すき」と呼ばれるようになりました。魚すきは大阪発祥だったというわけですね。

銅製の原版から判明した初代店舗の店がまえ
銅製の原版から判明した初代店舗の店がまえ

丸萬本家の店舗は、昭和4年に洋館に建て替えられ、大阪ミナミのシンボルとなりました。「ハレの日の食事は丸萬の魚すき」と言われ、多くの人でにぎわったようです。戦争中は一時休業していたものの、戦後再開して昭和の時代を経て長く続きました。

ミナミのシンボルとなった洋館の店舗
ミナミのシンボルとなった洋館の店舗
2階の大広間
2階の大広間

平成に入ってから7代目が亡くなったことで、丸萬は休業を余儀なくされました。休業後は料理教室を開いて、生徒さんに魚すきを出すこともあったそうです。その後、魚すきを食べた生徒さんや元の店の常連さんたちから、何とか再開してほしいという声があまりにも多かったので、7代目の弟である隆平さんが、8代目として再開に乗り出すことになりました。そして、平成19年に丸萬本家は堺筋本町に復活したのです。

再開した堺筋本町の店舗の店がまえ
再開した堺筋本町の店舗の店がまえ

丸萬の長い歴史をお聞きして、あらためて現在の店内を見渡してみました。すると、アート作品がちらほら飾られていることに気づきました。誰かの作品かな?と思っていたら、隆平さんから「実は私は本業が画家なんです。息子の英之も9代目でありながら美術家でもあるんです。ここにある作品は私たちが手がけました」という言葉が返ってきました。えっ、アーティストでもあるんですか!?と驚く探偵たち。「おやじから、画家になるならお店を手伝うのが条件と言われましてね。大学卒業後は画家の活動と並行して、丸萬本家を手伝ったり、有名な料理の先生について修業をしたりもしました。つまり親子二代で、料理とアートの二刀流ですわ」と隆平さんは笑います。

店内に飾られている二人の作品
店内に飾られている二人の作品

2年ほど前からは、より落ち着いた空間でゆっくり寛いでいただけるようにと店舗を現在の場所に移し、予約制で営業をしています。店舗の2階は、美術家の英之さんのアトリエとなっています。二人は、「アートと料理ってまったく違うもののように思われていますが、実は共通点があるんです。混ぜること、変化すること、味覚と視覚……。つくり上げるための感覚的なものが同じなんです。だからこそ、両立できるんです」とのこと。

写真左:店に出ていないときは作品に向かう英之さん、写真右:店の2階にところ狭しと並んでいる立体作品の模型たち
写真左:店に出ていないときは作品に向かう英之さん、写真右:店の2階にところ狭しと並んでいる立体作品の模型たち

昔はハレの日の料理として親しまれていた魚すきですが、最近では食べる人が減ってきています。「魚すきをはじめて食べる方が、『おいしい!』と言ってくださるのがすごくうれしいですね」と口をそろえる二人。店舗には昔からのお客さまをはじめ、大阪名物を味わいたいと北海道や関東など遠くから毎年訪れる人も。「大阪発祥の魚すきを、『食の文化遺産』として何とか後世に伝えていきたい」と語ります。一時は途絶えてしまった伝統の料理が、二人の熱々な思いによって復活しました。ぜひ一度堪能してみませんか。

また食べたいな♪
また食べたいな♪
調査完了
  • 炎の探偵社では「関西にまつわる疑問や気になること」を募集しています。
    あなたのギモンをお聞かせください。
    投稿の中からセレクトして「炎の探偵社」が調査します!
  • ログインして調査を依頼

※当サイトのコンテンツの二次利用はご遠慮ください。