
友人から「兵糧丸(ひょうろうがん)」という和菓子をお土産でもらいました。甘くておいしいお団子で、商品説明を読むと、どうやら忍者が食べていた食品を模したものらしいです。実際の「兵糧丸」もおいしかったのでしょうか?また、どんなときに食べられていたのでしょうか?探偵さんぜひ調べてください!
忍者発祥の地のひとつ滋賀県・甲賀へ
時代劇などで兵糧攻めや兵糧米という言葉はよく耳にしますが、兵糧丸ははじめて聞きました。忍者が食べていたということですが、本物はどんな味だったのでしょう?探偵もぜひ知りたいです。
兵糧丸について調べていると、忍者の企画展示をおこなっている「甲賀市くすり学習館」という施設を発見。甲賀は忍者で有名ですし、ここなら詳しいお話が聞けそうです!さっそく現地へ向かいます。
JR草津線の油日駅から徒歩20分。甲賀市くすり学習館に到着しました。

室町時代から江戸時代に実在した忍者の任務とは!? 建物の中に入り、全面ガラスばりの明るいロビーを進むと企画展示室がありました。探偵が訪問したタイミングでは企画展「Real甲賀忍者~くすりを活かす知恵~」が開催中。企画展示室の入口には忍者の姿をしたたぬきの置物や忍隠れの里と書かれた駅名板、何かの作業をしている人形が飾られています。忍者についてどんな展示がされているのかワクワクしてきます!

期待に胸を膨らませている探偵に「ようこそ!甲賀市くすり学習館へ」と館長の長峰さんが笑顔で話しかけてくれました。
はじめまして。忍者が食べていたという兵糧丸について調べていたら、こちらの企画展示の情報を見つけました!何か資料があればぜひ拝見したいです。
「兵糧丸の調査でお越しいただいたのですね。当館では忍者食についての展示をしているコーナーがありますよ。さっそくご案内しましょう」。

企画展示室に入ると、そこには忍者の装束やまきびしなどが展示されていました。映画やテレビでしか見たことがないものばかりで、とても興味深いです!
ここに飾られているものは、実際に忍者が身に着けたり、使用したりしていたものなのですか?
「はい。展示品はレプリカですが、室町時代から江戸時代にかけて忍者が実在し、展示している野良着のような装束やまきびしを使っていたと考えられています。大名や領主に仕え、敵の城に忍び込んで情報収集したり、薬売りや商人に変装して街で敵を惑わす偽情報を流したり、山中で敵に奇襲攻撃をしかけたりするのが主な任務だったようですよ」。
忍者はスパイのような存在だったのですね。よく映画などで描かれるような、地面から屋根まで飛び上がったり、一瞬で姿を消したりといったこともできたんでしょうか?
「それはどうだったか定かではありません(笑)。人間の領域を超えた忍術を使う忍者像は、主に後世になってから小説や演劇などの演出としてつくられたものだといわれていますよ」。

忍者の活動を知ると、彼らが食べていたという兵糧丸にますます興味がわいてきました!どんな食べ物だったか教えてください。
「忍者が任務の際に食べていた携帯食で、直径1~4cmの丸い形をしていたといわれています。持ち運びやすく、パッと口に入れられるようにこの形状になったのでしょうね。こちらにあるのが、残された資料をもとに当館で再現した兵糧丸です」。
長峰さんが指さすほうへ目を向けると、3粒の茶色いお団子のようなものが並んでいました。
これが兵糧丸!?たしかにさっと食べられる感じのサイズですね。
「こちらに展示しているのは、直径3cmほどの大きさの兵糧丸です」。

こんなに小さいと何粒も食べないと空腹を満たせない気がしますね。
「尾張藩の兵学者が江戸時代に記した『用間加条伝目口義(ようかんかじょうでんもくくぎ)』という書物には、兵糧丸を1粒食べれば7日間は飢えることがなく、4粒食べれば2,400日飢えないと書かれています。本当かどうか試したことも調べたこともありませんので、真偽のほどはわかりませんが……。ただ、忍者が重宝していたことから考えて、数粒で栄養を補える食べ物だった可能性は高いですね」。
お話をお聞きしていると、どのような材料でつくられていたのかがとても気になってきました!ぜひ詳しく教えてください。
氷砂糖や生薬など8種類の材料でつくられる兵糧丸
「武田信玄の伝説的軍師・山本勘助らが記したとされる甲州流忍法伝書『老談集(ろうだんしゅう)』という書物によると、兵糧丸は8種類の材料でつくると書かれています。具体的には、もち米、一般的なお米であるうるち米、氷砂糖、そして5種類の生薬です」。
1粒の中に、8種類もの材料がぎゅっとつめこまれているんですね!生薬というといろいろな種類があると思うのですが、どんな生薬が入っていたのでしょうか?
「ハスの実からつくられる蓮肉(れんにく)、ヤマノイモをさす山薬(さんやく)、クスノキ科の樹木からつくられる桂心(けいしん)、ハトムギからつくられるヨクイニン、そして朝鮮ニンジンです。5つの生薬は総じて滋養強壮作用やリラックス効果があると考えられています。ちなみに、もち米、うるち米は炭水化物、氷砂糖は糖分で、エネルギー補給や疲労回復が期待できますね」。

材料となっているうるち米や氷砂糖を忍者は日常的に食べていたのでしょうか?
「忍者のふだんの食事はアワやヒエが基本だったと考えられていますよ。当時はうるち米やもち米、氷砂糖は高価なものだったので、日常的には食していなかったと思います。つまり、兵糧丸は大事な任務のために高価な材料を使ってつくられた食べ物で、1粒1粒がとても貴重だった、ということではないでしょうかね」。
兵糧丸のつくり方
展示されている生薬をあらためてよく見てみると、どれもカチカチで固そうですね。どうやって丸めていったのかが気になります。
「探偵さんのおっしゃるとおり、生薬は乾燥させているので固いんです。そのため、まずは生薬を粉末にすることからはじめていたようですね。当時は薬研(やげん)という道具を使っていたと考えられていますよ。当館に体験用の薬研があるので、実際に生薬をすり潰すところをお見せしましょう」。
長峰さんは薬研を使って生薬を粉末にするところを実演してくれました。
舟の形をした器に生薬を入れ、車輪状の器具を使ってすり潰していきます。体重をかけながら、ゴリゴリと押し潰すのがコツだそうです。

「生薬と同様にもち米・うるち米・氷砂糖も粉末にします。すべてを粉末状にしたら大きなこね鉢に移し、水を加えながら混ぜ合わせます。材料を混ぜ終えたら、直径3cm程度の大きさに丸めて10分間蒸します。蒸しただけではすぐに腐ってしまい携帯食になりませんので、さらに10日間ほど天日干しをして完成です」。
日持ちするように天日干しするわけですね。水分が飛んで、潰れにくい固さになるのでしょうか?
「そうですね。蒸した直後は熱々の生八ツ橋のようなもちっとした食感ですが、天日干ししたあとはカチカチになりますね」。
できあがりはどんな味なんですか?生薬が入っているので、苦味もありそうな気がします。
「いえいえ、なかなかおいしいんですよ。砂糖を固めたお菓子のような甘い味なんです」。
なるほど、氷砂糖が入っているから甘味があるんですね。忍者が食べていた兵糧丸は、甘いお菓子のような味で、任務の際に食べられていたことがわかりました!
兵糧丸以外にも!用途に合わせた忍者食
あれ?兵糧丸のほかにも忍者食が展示されていますね。
「はい。現在展示しているのは飢渇丸(きかつがん)と水渇丸(すいかつがん)です。伊賀・甲賀共通の忍術書である『万川集海(ばんせんしゅうかい)』で紹介されている忍者食ですよ」。
忍者食ってひとつじゃなかったんですね!名前からすると、飢渇丸はおなかが減ったとき用、水渇丸はのどが渇いたとき用の携帯食でしょうか!?
「大枠はあっています!飢渇丸は朝鮮ニンジン、そば粉、小麦粉、ナガイモ、甘草、ヨクイニン、もち米からつくられ、滋養強壮や疲労回復、リラックス効果、痛みの鎮静などが期待できる食べ物だったようです。水渇丸は梅干しの果肉と氷砂糖、麦門冬(ばくもんどう)からつくられ、口の渇きやのどの痛みを和らげる目的に特化させた食べ物だったといわれていますね」。


材料や期待される働きをお聞きすると、兵糧丸と飢渇丸は似ているところがありますね。
「材料の違いから兵糧丸は短時間で体力を回復できる携帯食、飢渇丸は長時間のスタミナ維持に適した携帯食だったと考えられています。また、味は異なり、飢渇丸は漢方薬的な味だったと思います。ちなみに水渇丸はすっぱい味ですね。梅干しに含まれるクエン酸の刺激で唾液が出ることでも、のどが潤されたんでしょうね」。
忍者が生薬に詳しくなった理由
兵糧丸・飢渇丸・水渇丸のいずれも、生薬を活用してつくられていたんですね。忍者は生薬に詳しかったのでしょうか?
「忍者は生薬だけでなく薬全般に対する豊富な知識を有していたというのが通説です。彼らが薬に精通するようになったのは、忍者発祥の地のひとつである伊賀・甲賀という土地と山伏(やまぶし)の存在が大きく影響していると考えられています」。
山伏……?山で厳しい修行を続ける人たち、のように以前聞いたことがあります。
「おっしゃるとおり山岳修行を積む行者のことです。伊賀・甲賀には古くから山伏が多く住み、修行に励んでいたそうです。また、伊賀・甲賀の山々には多彩な薬草が自生していました。山伏たちは山に生えた薬草を使って薬をつくっていたといわれています。そんな山伏たちと忍者は一緒に修行をしており、そのなかで忍者も生薬をはじめとする薬の知識を身につけていったのでしょう」。

一緒に修行をしたり、薬の知識を教わったり、忍者は山伏から影響を受けたんですね。
「山伏には印(いん)を結んで魔を遠ざけるといった教えや、護摩木をたいて炎の前で祈願する護摩行(ごまぎょう)の儀式があるそうです。忍者が印を結んだり、ドロンと煙を出して消えたりするイメージも、山伏の印や護摩行で立ちのぼる煙の影響が強くあると思いますよ」。
非常に興味深いお話ばかりです。兵糧丸も山伏が考案したのでしょうか?
「兵糧丸は、薬の知識を学んだ忍者が生み出したといわれています。さらに古文書には『忍者たるもの一人ひとりが実験をくりかえし、最も効果のある製造法を採用しなさい』という教えが書かれています。当館でご紹介している材料やつくり方も一例に過ぎず、いろいろなつくり方があったはずですよ」。
なるほど。兵糧丸は、山伏から学んだ薬の知識を使って忍者が生み出し、滋養強壮作用やリラックス効果を高めるために改良が続けられていたんですね。
今回、忍者食をはじめ、忍者の任務や彼らに影響を与えた山伏のことなどたくさんのことが学べました。兵糧丸や忍者に興味を持った方は、甲賀市くすり学習館を訪れてみてはいかがでしょうか?甲賀の売薬業の歴史や製薬器具、薬の看板や広告などの資料もたくさん展示されていて人と薬のかかわりもいろいろと知ることができますよ!


- ※甲賀市くすり学習館では、薬研を使った兵糧丸づくりを1人200円で体験できるそうです(2人以上で体験可能・要予約)。
- ※この記事は2024年12月1日時点の情報をもとに掲載しています。
