依頼内容

日本で初めて小学校が建てられたのは京都だと聞きましたが、本当ですか?探偵さん、調査をお願いします。

皆さんの小学校の思い出といえば、どんなことが頭に浮かびますか?がんばって勉強したり、友だちと毎日遊んだり、ときには先生に叱られたり……、懐かしい記憶がいろいろと蘇ってきますよね。ところで、日本初の小学校がどのようにして設立されたのか、皆さんはご存知ですか?探偵たちが調べてみたところ、「京都市学校歴史博物館」に昔の小学校に関する資料が展示されているとのこと!ここで詳しいお話を聞いてみようと、現地へ調査に向かいました。四条河原町周辺から南へ少し下がったところにある「京都市学校歴史博物館」は、かつての開智小学校を利用した博物館です。

写真左:まるでお寺のような、立派な門構え!写真右:1998年に開館した「京都市学校歴史博物館」
写真左:まるでお寺のような、立派な門構え!写真右:1998年に開館した「京都市学校歴史博物館」

ここで探偵たちに声をかけてくれたのは、同施設で学芸員を務める林さんです。小学校の歴史について調査しに来たことを伝えると、「では、ぜひ館内でお話しましょう」と迎え入れてくれました。

教育史が専門の学芸員・林さん
教育史が専門の学芸員・林さん

探偵たちは、さっそく林さんにお話を聞いてみることに。まず、小学校が京都で誕生したというのは本当なのでしょうか?「厳密にいうと、京都が最初ではありません」。えっ?違うんですか?

林さんによると、日本で最初にできた小学校は、明治2年1月 、静岡県沼津市に旧徳川将軍家によって設立された「沼津兵学校附属小学校」とのこと。「この兵学校は、旧幕臣の子弟たちと一部の平民を対象にした学校でした。地域の子どもが誰でも通えるような『公立小学校』は、京都で誕生したんですよ」。 なるほど、公立の小学校が京都発祥だったんですね!

日本初の公立小学校・上京二十七番組小学校(のちの柳池小学校)。現在は閉校しています
日本初の公立小学校・上京二十七番組小学校(のちの柳池小学校)。現在は閉校しています

公立小学校が生まれた背景について、林さんはこう説明してくれました。「江戸時代、子どもたちの学び舎といえば寺子屋でした。京都は職人や商人が多く、仕事で読み書きが必要なので、親たちは子どもを寺子屋へ通わせて、熱心に勉強させたそうです」。

ところがその後、幕末の動乱によって京都の町の大半が焼けてしまいます。さらに、明治維新で都が京都から東京へ移ったことで人口が激減し、経済が急激に衰退していきました。そんな中、「京都の発展のためには、子どもたちが等しく教育を受けられ、読み書き以外にも国内外の文化や歴史を学べるような場が必要だ」と立ち上がったのは、行政と京都の町衆(ちょうしゅう)たち。彼らが、寺子屋に代わる新たな学び舎をつくろうと動き出したそうです。

子どもたちの新たな学び舎づくりを牽引した中心人物たち
子どもたちの新たな学び舎づくりを牽引した中心人物たち

町衆たちは、まず必要な資金の調達に取りかかりました。このとき、重要な働きをしたのが「番組(ばんぐみ)」制度です。番組とは、当時の京都の町の自治組織のこと。町衆たちは、各番組内で資金を出し合い、それを小学校の運営に充てたのです。「この資金は、『かまど金』と呼ばれました。かまどは当時どの家にもあったもので、子どもの有無にかかわらず全ての家庭から少しずつお金を集めたんです。当時の町衆たちの助け合いの精神が表れていますね」と林さん。

小学校で使われていた硯(すずり)や筆なども、地域の人々からの支援で購入されたそうです!
小学校で使われていた硯(すずり)や筆なども、地域の人々からの支援で購入されたそうです!

こうした地域住民たちの協力を得て、明治2年5月、日本初の公立小学校・上京二十七番組小学校(のちの柳池小学校)が誕生しました。他にも、現在の京都市域内に計64もの小学校が建てられたそうです。

カラフルに色分けされた、明治2年の京都の番組学区図。この学区ごとに小学校が建てられました
カラフルに色分けされた、明治2年の京都の番組学区図。この学区ごとに小学校が建てられました

次に、当時の集合写真を見せてもらった探偵たち。ズラっと並ぶ生徒たちの顔を見てみると、ん?なんだか小学生には見えない人もちらほら……。林さんは、写真を見ながらこう話してくれました。「実は、明治時代には、12歳以上の若者が小学校に通うこともあったそうです。当時の小学校では、試験に受かった生徒だけが進級できました。ただ、設立当初は、学習内容が生徒の年齢にあわせたものではなかったので、難しい授業も多かったようですね」。つまり、進級できない留年生が多かったんですね!館内に展示されている当時の小学課業表(現在でいうカリキュラム)を見てみると、「西洋事情」、「戸籍法」、「日本政記」など、小学生が学ぶ課目にしては確かに難しそう……!

当時の集合写真。さまざまな年齢の人たちが通っていたことがわかります
当時の集合写真。さまざまな年齢の人たちが通っていたことがわかります
難しそうな授業が並ぶ当時の小学課業表
難しそうな授業が並ぶ当時の小学課業表

また、京都の小学校では、当時から日本画など美術関係の授業をいち早く取り入れていたそうです。「京都には、西陣織や清水焼など多くの伝統産業がありますよね。この産業を担っていく人材を育てるために、美術の素養を身につけるための授業が多く行われていたんです」。その結果、のちに日本画家や陶芸家などの芸術家になった卒業生も多く、自分が通っていた小学校に作品を寄贈する例もよくあったそうです。それらの作品は、現在も各校の体育館や廊下など、子どもたちの身近なところに飾られています。

写真左:日本画の初歩である毛筆画の教科書、写真右:芸術家・北大路魯山人が、母校に寄贈した花活(はないけ)
写真左:日本画の初歩である毛筆画の教科書、写真右:芸術家・北大路魯山人が、母校に寄贈した花活(はないけ)

この博物館には、他にも年代ごとの教科書や給食などが展示されています。「地域の方々から、ご自身の親御さんが使っていたノートや教科書などを寄贈していただくこともあります。家に置いておくよりも博物館で皆さんの役に立ってほしいと言ってくださるんですよ。当時の小学校と同じように、この博物館も地域の皆さんに支えられています」と、林さんは笑顔で語ってくれました。

誰もが通う場所だけど、その始まりについてはあまり知られていない小学校。京都の町で誕生した背景には、「京都の発展、そして子どもたちの未来のために」という町衆の想いがあったんですね。ぜひ皆さんも、京都市学校歴史博物館を訪れて、小学校の歴史やさまざまな展示品に触れてみてください。どこか懐かしく、温かい気持ちを感じられるかもしれませんよ♪

二宮金次郎さんも待っているよ♪
二宮金次郎さんも待っているよ♪
調査完了