依頼内容

大阪がつまようじの生産量日本一って本当?

今回の調査依頼は、大阪とつまようじ生産量の関係について。つまようじといえば、大阪名物「たこ焼き」を食べる際の必須アイテム。大阪のたこ焼き文化との関係性も気になるところですね。果たして、本当に大阪府はつまようじ生産量ナンバーワンなのでしょうか。そこで、今回は大阪府河内長野市にある「つまようじ資料室」に向かいました。この資料室は、地場産業であるつまようじ製造業を復権させたいという想いから、つまようじを生産する株式会社広栄社によって1990年に開設され、つまようじの原材料や歴史文化、風俗などが展示されています。広栄社会長兼つまようじ博士の稲葉修さんに案内いただき、調査スタートです。

つまようじのことならなんでも聞いて!
つまようじのことならなんでも聞いて!

まずは、つまようじの作り方から。つまようじを生産する際は、丸太を寸法通りに切って煮沸し、その後皮をむき板状に切断し、乾燥させます。そして、乾燥工程が終わったら、丸軸というつまようじの細さに近い形状に加工し、長さを揃えて先端を削り、ようやくつまようじが完成します。現在は機械生産が主流ですが、昔はこの複雑な工程をすべて手作業で行っていました。

大正時代のようじ作りの道具を発見。
大正時代のようじ作りの道具を発見。

ようじの歴史は、10万年以上も前のネアンデルタール人の時代までさかのぼります。ネアンデルタール人の歯の化石には深い縦筋が刻まれているものがあり、細い木や草でできたようじのようなもので歯をこすった跡だろうと推測されています。当時は食物を柔らかくする技術も無く、健康な歯を維持することは死活問題だったため、自然とそういった知恵を身に付けていったのかもしれません。その後、仏教の始祖であるお釈迦様が、読経前に口の中を綺麗にする習慣として「歯木(しぼく)」というようじをインドで広め、のちにそれが中国に渡りました。ただ、中国ではインドで使われていたニームの木がなかったため、代わりに楊(ヤナギ)の木が使われました。その結果、「楊枝(ようじ)」と書くようになったといわれています。

楊柳観音の絵画。観音様も柳の枝をもっています。
楊柳観音の絵画。観音様も柳の枝をもっています。

日本へは、奈良時代に仏教とともにようじが伝わり、僧侶を中心に使われました。その後、平安時代になると貴族へも拡がり、お茶が発展した安土桃山時代以降は、お茶菓子を小さく切って口へ運ぶための道具としても普及。お茶菓子を食べる際のようじとしては、「クロモジ」と呼ばれるクスノキ科の木を原料とし、樹皮付きの角型の大振りなものが好まれました。この時期に、ようじには歯のエチケット用品としてだけでなく、お菓子や料理を口に運ぶための道具という新たな役割が加わったのです。

クロモジを使った高級つまようじは今でも人気。
クロモジを使った高級つまようじは今でも人気。

そして、江戸時代に入ると、木の先をほぐして毛筆のような房状にした「房楊枝(ふさようじ)」が登場。房楊枝は、「歯の間のカスを除去する」「舌を磨く」「歯ブラシとして使う」という、3つの機能を備えています。そんな房楊枝も含め、さまざまなようじを扱う専門店が江戸や京都・大阪に登場し、庶民の間でも広がりをみせていきました。

日本初の百科事典「和漢三才図会」にも「楊枝」の記載が。
日本初の百科事典「和漢三才図会」にも「楊枝」の記載が。

さて、いよいよ本題。「大阪とつまようじ生産量の関係」についてです。

古くから、河内長野市周辺は高級つまようじの原料「クロモジ」の産地でしたが、つまようじの生産は行われていませんでした。しかし、大正の中頃に、生産や卸も手掛けようという機運が盛り上がり、三重県鈴鹿市でつまようじ工場を営んでいた稲葉由太郎さん(広栄社初代社長)にも声がかかりました。取引先だった河内長野の卸問屋さんから「稲葉さんも河内長野にきてくれへんかなあ・・・」と打診をうけた稲葉さんは、思いきって工場ごとの移転を決断。

これが高級つまようじの原料クロモジです。
これが高級つまようじの原料クロモジです。

そして、当時は手作業中心だったつまようじの生産量を拡大するため、大正期にはアメリカ製の機械を導入しました。こうして、日本で初めてのつまようじの機械生産が河内長野市の地でスタートしました。

アメリカから輸入したつまようじ製造機。
アメリカから輸入したつまようじ製造機。

その後、河内長野市のつまようじ製造業は順調に地場産業として発展。昭和40年代には、つまようじの国内生産量の約95%を占めたこともありました。しかし、昭和50年代以降、大半のメーカーはコスト圧縮のため生産拠点を中国へ移転。現在では、日本国内で流通するつまようじの多くが中国製となりました。そんな中、広栄社では今でも国内生産を貫いており、結果として大阪府は日本国内でのつまようじ生産量第1位をキープし続けています。

同社では、つまようじ以外のオーラルケア製品事業にも進出しつつ、伝統ある日本のつまようじ製造業の火を絶やさないようにさまざまな活動を展開されています。つまようじ資料室の運営以外にも、つまようじをとりまく文化や風俗の研究、近隣の学校からの工場見学の受け入れ、講義による啓蒙活動など、会長兼つまようじ博士の稲葉修さんは日々大忙しです。

工場見学も人気
工場見学も人気

というわけで、大阪府がつまようじ生産量日本一となった理由は、明治時代に河内長野市が高級つまようじの原木クロモジの産地だったこと、がきっかけだったようです。残念ながら、戦前に生まれた「たこ焼き」と直接的な関係はなさそうでした。

今回は、資料室の充実した展示や稲葉さんの解説のおかげで、つまようじが10万年以上も前から人々の健康や文化を支えてきたことがわかりました。小さくか細いつまようじですが、実は奥深い「つまようじワールド」を体験したい方は、広栄社さんのホームページや資料室をチェックしてみてくださいね。

つまようじとパチリ!
つまようじとパチリ!
調査完了