炎の探偵社

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昔の大阪城の屋根は
ピカピカに輝いていた!?
なぜ現在は緑色に?その理由を徹底調査

2024/12/02
依頼内容

かつては、大阪城天守閣の屋根には黄金の瓦が使われていたと聞きました。当時の屋根はピカピカに輝いていたのでしょうか?なぜ今の緑色になったのでしょうか?探偵さん、気になるので調査をお願いします!

大阪城天守閣の屋根は黄金色だった!? 大阪の観光スポットのひとつとして知られる大阪城。探偵も何度か訪れたことがありますが、屋根は緑色という印象なので、「黄金の瓦が使われていた」という情報に驚きです。真相がとても気になります!

さっそく調べてみると、現在の大阪城天守閣は歴史博物館になっていて、豊富な文化財を公開しているそうです。博物館の方なら、黄金の瓦について詳しい話を聞けるかもしれません。

大阪城天守閣に連絡したところ「大阪城と屋根の歴史について喜んでご説明しますよ。ぜひお越しください!」とのお言葉が。いざ、大阪城まで調査に向かいます!

最寄り駅のひとつであるJR大阪環状線の大阪城公園駅に到着。駅を出て階段を降りると複数の飲食店が入った商業施設があり、そこから10分ほど歩くと、大阪城の出入口の1つである青屋門(あおやもん)に到着します。門をくぐると天守閣が見えてきました。少し先にある極楽橋(ごくらくばし)をわたり、さらに約10分かけて道なりに進んでいくと天守閣です。

4つある大阪城の出入口の1つ「青屋門」(左)。その先にある極楽橋の向こうには天守閣が見えます(右)
4つある大阪城の出入口の1つ「青屋門」(左)。
その先にある極楽橋の向こうには天守閣が見えます(右)

待ち合わせ場所の本丸の日本庭園に到着すると「探偵さん、お待ちしていましたよ!」と大阪城天守閣・学芸員の跡部さんがにこやかに迎えてくれました。

学芸員の跡部さん。本丸の日本庭園は、天守閣をバックに季節ごとの異なる表情がとれる撮影スポットです!
学芸員の跡部さん。
本丸の日本庭園は、天守閣をバックに季節ごとの異なる表情がとれる撮影スポットです!

本日はよろしくお願いします!大阪城の屋根について調査に来ました。
「それではまず、屋根の近くまで行きましょうか。大阪城天守閣の最上階にある展望台へご案内しますね。絶景も楽しめますよ!ちなみに展望台があるこの建物全体を天守閣と呼びます。現在の天守閣は落城と落雷での消失を経て3代目になります」。 天守閣の屋根で輝く金箔瓦 跡部さんの案内で天守閣の真下に到着しました。荘厳なたたずまいに改めて圧倒されます。

大阪城天守閣の真下に到着!入館料は大人600円、中学生以下は無料です(2024年10月31日時点)
大阪城天守閣の真下に到着!
入館料は大人600円、中学生以下は無料です(2024年10月31日時点)

大阪城天守閣に入館し、まず驚くのはエレベーターやデジタルサイネージがあることです。近代的でお城の中だということを忘れてしまいそうですね。
「そうですよね。現在の天守閣は戦前の1931年に鉄骨鉄筋コンクリート造で復興されました。内部は博物館ですので空調設備も完備しています。1階にはシアタールームやお土産・記念品を販売するミュージアムショップがあり、2階から上では戦国武将の書状や鎧兜、大阪城の歴史が学べるパネルなどを展示しています。今から向かう展望台は8階にありますよ。5階まではエレベーターで、そのあとは階段で上がっていきます。車椅子など階段の利用が難しい方には、8階までのエレベーターもご用意しています」。

地上から約50mの展望台に到着。大阪の街並みを一望でき、まるで城主になった気分です。

展望台から東側の景色。晴れていると遠くの生駒山までよく見えます!
展望台から東側の景色。晴れていると遠くの生駒山までよく見えます!

少し目線を下げると天守閣の屋根もよく見えます。

網越しに見える大阪城天守閣の屋根。近くで見ると、やわらかな緑色です
網越しに見える大阪城天守閣の屋根。近くで見ると、やわらかな緑色です

さっそくですが、昔は大阪城の屋根に黄金の瓦が使われていたというのは本当でしょうか?
「そうですね。初代大阪城天守閣では黄金の瓦が使われていました。おそらく権力の誇示が目的だったと考えられます」。

なるほど。初代ということは、豊臣秀吉が築城したときは黄金の瓦が使われていたんですね!黄金の天守閣はきっとキラキラまぶしかったんでしょうね。
「実は屋根全体が金色だったわけではありません。基本的には土を焼いた灰色の瓦を使いつつ、軒先や棟など目立つところを『金箔瓦』で飾っていたと考えられています。金箔瓦とは、瓦の模様や縁の部分に金箔を貼った飾り用の瓦です」。

そうだったんですね。ということは、屋根全体は灰色に見えたということでしょうか?
「初代天守閣の屋根の雰囲気は『大坂夏の陣図屏風』に描かれています。そこから推測すると、探偵さんのおっしゃるように全体的には土瓦の灰色で、要所要所が金色に輝いているような感じだったと思います」。

初代天守閣で使われていた金箔瓦は今も残っているんでしょうか?
「はい。発掘調査で当時の金箔瓦がいくつも出土しています。ちなみに、城下町の大名屋敷にも金箔瓦が使われていました。大阪城だけでなく、その周辺までもがキラキラ輝いて見えていたのかもしれません」。

大名屋敷を飾ったとされる桐の文様があしらわれた金箔瓦。大阪城天守閣から徒歩約5分のところにある複合施設『ミライザ大阪城』に展示されています(2024年10月31日時点)
大名屋敷を飾ったとされる桐の文様があしらわれた金箔瓦。
大阪城天守閣から徒歩約5分のところにある複合施設『ミライザ大阪城』に展示されています(2024年10月31日時点)

天守閣の屋根はなぜ緑色? 初代天守閣では基本的に土製の灰色の瓦が使われていたとのことですが、いつから緑色の屋根に変わったのでしょうか?
「2代目の天守閣からです。秀吉が建てた天守閣は1615年に大坂夏の陣で焼け落ちました。その後、徳川幕府の2代将軍・秀忠が1620年から10年の歳月をかけて2代目の天守閣を建て、その際に一番上の屋根にだけ銅瓦を使いました。この銅瓦が緑色の理由です」。

2代目天守閣は一番上の屋根だけを銅瓦にしたのですね。でも、銅といえば黒みがかった光沢のある赤色ですよね?なぜ銅なのに緑色なんですか?
「あの緑色は、銅が酸化することで発生するサビなんです。10円玉を想像してみてください。最初は光沢があるけれど、時間が経つとだんだんくすんでいきますよね。銅瓦も同じで、光沢のある赤褐色がだんだん黒く変色していきます。やがて雨風にさらされるうちに緑青(ろくしょう)という緑色のサビが出てきて、銅の表面を覆います。鉄などのサビは『金属の腐食によって発生するよくないもの』という印象ですが、緑青は銅を腐食から守り、銅を長持ちさせてくれるんです」。

 「銅瓦は見た目も機能もすぐれているんです」と教えてくれる跡部さん
「銅瓦は見た目も機能もすぐれているんです」と教えてくれる跡部さん

あの緑色の屋根にそんな秘密があったとは驚きです!でもなぜ、2代目の天守閣では銅瓦が使われたのでしょうか?
「土よりも銅のほうが圧倒的に高価でした。だから、世の中に徳川の権勢を示す目的もあったのでしょうね。しかし当時は、先ほどもお伝えしたように銅瓦を使ったのは一番上の屋根だけで、それより下の屋根は土の瓦だったんですよ」。

『ミライザ大阪城』に展示されている徳川天守閣の瓦(2024年10月31日時点)。この土製の瓦は高さ81cm、幅92cmもの大きさで、大人でもひとりで運ぶのは大変そう!
『ミライザ大阪城』に展示されている徳川天守閣の瓦(2024年10月31日時点)。この土製の瓦は高さ81cm、幅92cmもの大きさで、大人でもひとりで運ぶのは大変そう!

一番上の屋根にだけ銅瓦を使ったのには何か理由があったのでしょうか?
「残念ながら正確にはわかりません。ただ私の推測ですが、名古屋城の影響を受けている可能性があります。名古屋城は秀忠の父・家康が尾張(愛知県)に築いたお城で、天守閣の最上階の屋根だけに銅瓦を使っていたようなんです」。

つまり父・家康の名古屋城をお手本にしたかもしれないんですね。おもしろい説ですね!
「ちなみに、家康公をお祀りしている日光東照宮にも銅瓦が使われていますよ。もしかしたら、今の神社の屋根によく銅瓦が使われているのも徳川の影響かもしれませんね。もちろん、あくまでこれも私の推測ですよ(笑)」。 屋根全体が緑色になったのは、3代目天守閣 「徳川秀忠による2代目天守閣は、1665年の落雷で焼失してしまいました。それから250年以上もの歳月を経て『豊臣秀吉の大阪城を復興させよう』との声が高まって大工事がはじまり、1931年に現在の大阪城天守閣が完成しました。このとき、天守閣の屋根全体が銅瓦になったんです」。

なるほど。初代天守閣は全体的に灰色、2代目天守閣は一番上の屋根だけが緑色、そして現在の3代目天守閣で屋根全体が緑色になったんですね!でも秀吉時代の天守閣をよみがえらせるならば、どうして屋根に土製の瓦を使わなかったのですか?
「重たいからです。重量のある土製の瓦を乗せると、建物全体が重たくなって基礎に大きな負担がかかります。鉄骨鉄筋コンクリートの本体だけでも重たいので、少しでも重量を減らしたかったのでしょう。そのため、軽くて強度もある銅瓦を採用したんです」。

サビが出る前の銅瓦は光沢のある赤褐色ですよね?ということは、再建直後の屋根はまだ緑色ではなかったんでしょうか?
「そのとおりです。復興工事が終わってすぐの天守閣の屋根は、きっと新しい10円玉みたいに赤褐色でキラキラしていたと思います」。

赤褐色の屋根をした天守閣というのも、今とはまた違った迫力があったんでしょうね。それからだんだんサビが出て、今のような緑色になったんですね!
「だいたい20年ぐらいで全体が緑色になったのではないでしょうか。復興後、徐々に天守閣の劣化が進み、屋根瓦も汚れていきました。そこで天守閣を後世に残すためにも大規模なメンテナンスをおこなおうとの声が上がり、1995年に『平成の大改修』がスタートしました。
屋根改修では約55,000枚もの銅瓦を剥がし、手作業で1枚ずつ表面の汚れを取り除いたそうですよ」。

大改修当時、銅瓦の廃材でつくられた記念品を特別に見せていただきました!
大改修当時、銅瓦の廃材でつくられた記念品を特別に見せていただきました!

55,000枚!途方もない数です……。汚れを取り除いたということは、同じ瓦を使ったということでしょうか。
「全体の8割は、汚れを取ったあとに瓦をやさしく叩いてデコボコを修復し、大きさを切りそろえて再利用したそうです。大変な手間だったことは間違いありませんが、そのおかげで今も天守閣は美観を保っているんですよ」。 いろんな角度から楽しめる!天守閣の屋根の見どころ 跡部さんの解説を聞いて、天守閣の屋根についてもっと知りたくなりました!屋根を見るときに注目すべきポイントはありますか?
「鯱(しゃち)の数でしょうか。初代天守閣には鯱が2基しか飾られていなかったようですが、1931年の復興時に8基に増えました。鯱は火除けの守り神ですから『もう火災にはあうまい』との想いから増やしたのかもしれませんね」。
「それから、天守閣の入口辺りで軒先を見上げると、軒瓦にあしらわれた金の装飾がよく見えますよ。豊臣大坂城の金箔瓦もこんな感じだったと思います」。

展望台から見た鯱(左)。天守閣の入口から見上げると軒瓦の金の装飾がよく見えます(右)
展望台から見た鯱(左)。天守閣の入口から見上げると軒瓦の金の装飾がよく見えます(右)

「それと雨や風を防ぎお城を守る『破風(はふ)』に注目するのもおすすめですね。破風は屋根の端の三角形や山形の部分のことで、天守閣のデザインや美しさを決める重要なポイントでもあるんです。最上層以外に破風がなかったお城もありましたし、形や大きさ、数やバランスなど、ほかの天守閣と比べてみるのもおもしろいですよ」。

形や大きさが異なる破風の組み合わせで天守閣のデザインが決まってきます
形や大きさが異なる破風の組み合わせで天守閣のデザインが決まってきます

近くからでも遠くからでも、屋根にはいろんな見どころがあるんですね!お城めぐりをするときは、ぜひ教えてもらったポイントに注目してみたいと思います! 世代や国境をこえて愛される大阪城天守閣 調査中、大阪城天守閣の中は家族連れや修学旅行生、外国人観光客でいっぱい!どの階もたくさんの人でにぎわっていました。
「毎年200万人以上もの方が来てくださっています。近年は特に海外から来られる方が増えた印象ですね」。

鯱と虎のレプリカや歴史年表など、目を引く展示が盛りだくさん!
鯱と虎のレプリカや歴史年表など、目を引く展示が盛りだくさん!

老若男女さまざまな人が展示を興味深そうに見ているのも印象的でした。
「文化財展示は2ヶ月くらいで新しいテーマを立てて入れ替えています。歴史好きの方はもちろん、はじめての方や久しぶりに来られる方にも楽しんでいただけますよ!
天守閣はエレベーターやスロープなども整備しています。どなたでも楽しめる場所となっていますので、これからもぜひたくさんの方に来ていただきたいです」。

天守閣の屋根にまつわるお話を聞くなかで、今まで知らなかった大阪城天守閣の歴史や魅力に触れた気がします!
もし訪れる機会があれば、いろんな角度から天守閣に注目してみてください。新たな発見があるかもしれませんよ。

天守閣をバックに記念撮影!
天守閣をバックに記念撮影!
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