ブーム再来!?
遊べる駄菓子「カタヌキ」に迫る
2019/09/17
お祭りや縁日でよく遊んだ駄菓子の「カタヌキ」って、今はあまり見ないのですが、まだあるのでしょうか?探偵さん、調べてきてください。
花や果物などの絵型が描かれた薄くて小さな板状の駄菓子、「カタヌキ」をご存知ですか?カタヌキとは、爪楊枝や画びょうで削ったりして型通りにくり抜いて遊べるお菓子のこと。縁日で金魚すくいなどの屋台と並び、子どもたちが夢中になって遊んでいるカタヌキの屋台を見た人もいるのでは?
カタヌキについて気になった探偵たちが調べたところ、全盛期は昭和30年代だったもよう。その後、カタヌキの製造業者は次第に減り、唯一残ったのが大阪・西成にある株式会社ハシモトだとわかりました。探偵たちはさっそくハシモトに向かい、すっかり見かけなくなったカタヌキについて、3代目の橋本さんから詳しく話を聞いてみました。
ハシモトは、昭和10年ごろに橋本さんの祖父が和菓子店として創業。その頃、子どもたちの娯楽といえば紙芝居が主流で、紙芝居屋が販売する駄菓子は子どもたちに大人気。そこに注目したハシモトは、駄菓子の製造・販売にその業態を転換し、東京の子どもたちのあいだで流行っていたカタヌキを、関西でいち早く製造したそうです。
※写真はイメージです
やがて、ハシモトのカタヌキは関西の子どもたちの心を掴み、注文が殺到するようになりました。カタヌキは同社の主力商品となったのです。ところが、その後、テレビが普及するにつれ子どもたちの紙芝居に対する熱も冷め、紙芝居屋は減少。それに伴い、全盛期に数十件はあったというカタヌキ製造業者も、昭和40年代には次々と廃業に追いやられ、とうとう残ったのはハシモトのみに。
このままではハシモトも廃業の道をたどることに!?しかし、後を継いだ2代目が、卸先を駄菓子屋や縁日の屋台に変更したことで、廃業の危機を脱出しました。そして、3代目の健司さんに代替わりしてからは、さらに大型スーパーや駄菓子屋チェーンなどへと販路を拡大していきました。
販路拡大によって経営は安定したものの、昭和のアナログな遊びの駄菓子が現代の子どもたちにそう売れるわけではありません。橋本さんは、通天閣やビリケンさんをかたどったカタヌキを作るなど、様々な試行錯誤をしましたが、売り上げは伸び悩んでいました。
ところが、1年ほど前から急にカタヌキの注文が増え出したのです。きっかけは、なんとYouTube!有名YouTuberによるカタヌキの動画が注目され、再生回数が1,000万回を突破したのです。それが話題となり、多くの人たちがカタヌキをネットショップで買うようになりました。その結果、ハシモトにカタヌキの注文が殺到。橋本さんは「注文がたくさん入ってくるようになって、生産が追いつかないんですよ」と声を弾ませます。
そういった喜びを感じながらも、橋本さんは一過性のブームに頼らず、長く愛してくれるファンを増やそうと考え、小学校の文化祭のゲームコーナーで使ってもらうためにカタヌキの提供をはじめました。橋本さんは「カタヌキに夢中になる子どもたちの嬉しそうな顔を見て、もっとカタヌキを世の中に広めたいと思いました」と語ります。
それ以来、近くにある駄菓子屋のナカオヤさんとともに、橋本さんはカタヌキを知らない子どもたちに向けたさまざまなPR活動をするようになりました。たとえば、ナカオヤの店舗で実施する「カタヌキ選手権」や「カタヌキ工場見学」などの活動を通じて、子どもたちがカタヌキに触れる機会を増やし続けています。
そして、そのブームは徐々に大人たちにも拡大。中には箱ごとカタヌキを買っていく人も増えているのだとか。橋本さんは、「これをきっかけに、カタヌキの人気が日本中で広がるといいと思っています」とうれしそうです。
最後に、探偵たちもカタヌキに挑戦してみました。爪楊枝で型をつつきますが、途中で思いもよらないところであっけなく割れてしまいます。悔しいからもう一枚!とできるまで何度も挑戦したところ、あっという間に時間が過ぎてしまいました。キレイにくり抜けたらスッキリ、うまくできなかったらもう1枚!と、シンプルなのに奥深い。そんなところが子どもだけでなく、大人も楽しめる魅力の一つなのかもしれません。店頭などで見かけたら、皆さんもぜひ挑戦してくださいね。